私たちが「テロに屈しない」ためにすべきことは、「テロとの闘い」への参加や集団的自衛権行使や憲法改定を決して許さないことです その1
- 2015/02/15
- 18:00
ISISは
「(安倍首相の2億ドル支援表明前は)日本の標的としての優先順は低かったが、今や、あらゆる場所で標的になる」
とIS機関誌で発表、とうとう日本もテロ対象になったことを宣言しました。
安倍政権は、日本人二人が殺害されたことにも日本がテロ対象になる危機を招いたことにも何の反省も示さず、批判を封じようとしていることを前回の記事で書きました。
それだけでなく、安倍政権はテロと戦い、国民の安全を確保するためだと称して、この機に乗じて集団的自衛権行使と憲法破壊に一気になだれ込まそうとしています。これが以前このブログでも何度か書いた「ショックドクトリン」ですね。
私たちは今後どうしていくべきなのでしょうか
それを考えるには、そもそも何故ISISのような過激なテロ集団が生まれてしまったのかを、知る必要があります。
ISISが生まれた発端はイラク戦争です。2003年、アメリカが有りもしない大量破壊兵器をイラクが所有しているといちゃもんをつけてイラクに武力侵攻し、フセイン政権を打倒したのが始まりでした
(ちなみに日本はこのイラク戦争を真っ先に支持し、自衛隊がアメリカに多大な協力をしていたこと、そしていまだにそれが間違いであったという検証もされていないことを忘れてはいけません)
このイラク戦争でアメリカ兵は多くの市民を虐殺、10万人以上のイラク市民が犠牲になりました。
フセインはイラク内では少数派のスンニ派で、フセイン打倒後の多数派のシーア派のマリキ政権が、スンニ派に対する激しい弾圧を始めました。
市民の間に広がる反米感情とスンニ派とシーア派の対立を背景に、スンニ派の過激組織がシリア内戦に乗じて勢力を伸ばしたのがISISです。
以下、いくつか引用させていただきましょう。
少々重複する部分もあり長くなりますが、是非読んでいただきたい文章ばかりです。
ジャーナリストの志葉玲さんのYahoo!個人ニュースから
●イスラム国は日米の外交・安全保障政策の失敗が産んだモンスター~暴走を止めるためにやるべきことは?
志葉玲
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shivarei/20150125-00042538/
(前略・引用開始)
2005年前後と言えば、ラマディはイラクの中でも最激戦地の一つだった。米軍が街を包囲すると同時に街の高台から、人々に向けて撃ちまくっていた。攻撃の邪魔となると、一般の住宅や学校までも破壊された。市内の病院に向かう道は、「死の道」と恐れられ、米軍の狙撃手は、妊婦であれ、子どもであれ、動くものは何でも撃った。街中を空爆が襲い、走り回る戦車が、傷つき倒れた人を轢き潰し、ミンチにした。あまりに大勢の人々が殺されたため、街の空き地は次々と集団墓地に変わっていったのだ。米軍が人々を殺せば殺すほど、多くのイラク人が米軍を追い払うために武器を手にとった。サジダ死刑囚の兄弟も米軍との戦いで命を落としている。ISISのトップ3も皆イラクの出身なのだ。また、旧サダム政権の軍人や政治家もISISに合流していると観られている。例の2億ドルが「人道支援」であるという安倍政権の主張を、ISISが額面通り受け取らないのも、単に難癖をつけているだけではなく、イラク戦争においてひたすら対米追従・支援を繰り返してきた日本への不信感もあるのかもしれない。イラクの人々は「オキナワ」という言葉を恐怖の体験と共に語る。なぜなら、沖縄の米軍基地で市街戦の訓練を受けた海兵隊員がイラクへと出撃していったからである。
○「サダムより酷い米軍」「その米軍の方がイラク政府よりマシ」
イラク戦争前のサダム政権も人権問題では本当に酷い状況ではあったけども、そうした独裁政権で拷問を受けた人ですら、「米軍はサダムより酷い」と言い、米国や日本が軍事的・経済的に支援した新生イラク政府は「米軍の方がまだマシだった」という無茶苦茶な拷問や虐殺を繰り返した。かつて、少なくとも市民レベルでは、イスラム教スンニ派教徒もシーア派教徒も同じ「イラク人」として当たり前のように共存し、互いに結婚するなど両派が家族や親戚であるということもよくあった。それを、米軍は「スンニ派はサダム元大統領の支持層」として同派の多いイラク西部や中部に上述したような激しい攻撃を加える一方、シーア派民兵を新しいイラク警察やイラク治安部隊、軍に組み込んだ。米国が亡命先のイランから呼び寄せた過激なシーア派至上主義のバヤーン・ジャブル氏が内務大臣が就任したことにより、スンニ派だというだけで人々はイラク警察や治安部隊に拘束され、拷問の挙句、殺されるということが頻発した。殴る蹴るの暴行は当たり前で、電気ドリルで体中に穴を空けられた挙句、硫酸を流し込まれるなど、残虐行為の果てに殺された人々の遺体があちらこちらに捨てられている状況になった。その後、イラクの首相となったヌール・マリキ氏もシーア派至上主義であり、スンニ派への苛烈な弾圧を続けた。
一昨年末からはファルージャやラマディなどイラク西部を空爆、樽爆弾などの強力な兵器が情け容赦なく使われる中で、一般市民の犠牲が相次ぎ、ファルージャの病院も破壊され病院スタッフも殺されるという状況が続き、マリキ政権からアバディ政権になった昨年9月以降も基本的な対立構図は変わっていない。つまり、イラク北部や中部、西部のスンニ派教徒にとって、ISISですらイラク政府よりはマシという状況があり、だからこそ1~2万人程度の兵力で人口200万人のイラク第二の都市モスルほか広範な地域で影響力を行使できているのである。
○イラク戦争での日本の業、ISISの暴走を止めるには
つまり、ISISは突然生まれたのではなく、米国や日本の外交・安全保障政策の失敗の繰り返しの中で、夥しい死と破壊の中から、生み出されたモンスターなのだ。だから、イラク戦争に関わってしまった日本の業を、後藤さんだけに背負わせるのは、あまりにむごい。ある意味、日本の人々、特に12年前のイラク開戦時に大人だった日本人は皆、問われるものがあるだろう。せめて、イラク戦争の失敗から学ぶべきなのだ。残虐の限りを尽くすISISの暴走を食い止めなくてはならないが、集団的自衛権の行使や単なる米国追従では同じ間違いを繰り返すだけ。上記したように、少なくともイラクにおいては、イラク戦争やその後のイラク政府の暴挙の数々が招いた宗派間対立こそがISISに付けいる隙を与えている。もし、日本を含む国際社会が強く働きかけ、イラク政府が全ての宗派や民族の融和と和解を進めるにようになれば、ISISも弱体化していくだろう
Twで拾った志葉玲さんの新聞記事もせっかくなので掲載しておきましょう。
国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長の伊藤和子さんのYahoo!個人ニュースから
●イスラム国による日本人人質事件 今私たちができること、考えるべきこと
伊藤和子
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150131-00042568/
ISの幹部たちは、イラク出身、特にサダム・フセインの旧バース党関係者が固めている事で知られている。旧バース党、そしてスンニ派は、イラク戦争後のイラクで徹底的に弾圧され、殺戮された。
イラク戦争はあまりにも過酷な人権侵害をイラクの人びとにもたらし、幾多の血が無残にも流され、人々は虐殺されていった。
米国の占領政策に反対する人々は次々と投獄され、拷問を受けた。アブグレイブのようにイスラムの人びとの尊厳を徹底して辱める性的拷問も行われた。
アンバール州ファルージャでは2004年に2度の大虐殺が行われ、残虐兵器を用いた虐殺で多くの民間人が犠牲になった。このほか、ファルージャを含むイラクの多くの地域で、米軍等が使用した有害兵器の影響で先天性異常の子どもたちがたくさん出生し、苦しみながら亡くなっている。
しかし、だれもイラク戦争の責任を問われない。イスラムの尊厳を傷つけた拷問の数々の責任を問われない。
そして、イラク戦争後に勃発した宗派間対立で、スンニ派住民は徹底的に、シーア派マリキ政権主導の血の弾圧を受け、大量に殺害されていった。イラク内務省直属の殺人部隊によって反政府的なスンニ派は次々と拘束され、処刑され、路上に見せしめのように死体が打ち捨てられた(その人権侵害の深刻さは、国連人種差別撤廃委員会にヒューマンライツ・ナウが提出した報告書に詳述した。http://hrn.or.jp/eng/news/2014/08/11/human-rights-now-submitted-information-report-for-the-review-of-iraq-cerd/)。
しかし、こうした事態に対して、占領統治をしていた米国は黙認、国際社会も本当に無関心であった。
2013年終わりころ、スンニ派住民が多数を占めるアンバール州で反政府の機運が高まった。平和的なデモに政権は銃をつきつけて住民を射殺、住民が武装をすると、2014年1月以降は大量の戦車を派遣して、民間人も含めた無差別攻撃を繰り広げた。
私たちがイラクの子どもたちの実情を調査した際、協力してくれたファルージャ綜合病院も攻撃対象となり、医療従事者が次々と殺されていった。病院への攻撃は明らかな戦争犯罪であるのに、マリキ政権はそれを実施し民間人を殺害した。
しかしこの時、国際社会も国連も地元の人びとの悲鳴や救いを求める声を黙殺した。
そうしたなか、ISの前身(ダイシュと呼ばれた)がマリキ政権の弾圧に絶望した人々の信頼を得る流れをつくり、勢力を拡大し、6月のイスラム国建国宣言につながった。
私たちヒューマンライツ・ナウでも、イラクの深刻な人権状況について、報告書や声明を出してきたが、国連からことごとく黙殺されてきた。
私たちは様々な国の問題に取り組んできたが、これほど重大な人権侵害が国際社会から黙殺された国は珍しい。
歴史の針は元に戻らないが、イラク戦争からのこの10年余、もっと人々が、国際社会が、イラクの人権侵害に心を寄せていれば、効果的に介入が出来ていれば、ISのようなモンスターが登場することはなかっただろうと心から悔やまれる。
今も前述したようなイラクでのスンニ派虐殺は光が当てられていない。ルワンダ等で起きたと同様の国際社会の怠慢が生んだ悲劇を私たちは再び繰り返しているのだ。
ついでにイラク戦争に至るまでの大雑把な経緯を引用すると
イラクのクウェート侵攻による湾岸戦争(1990年)➡米軍がイスラム教の聖地があるサウジアラビアに常駐したことなどに国際テロ組織アルカイダが反発、米同時多発テロを起こす(2001年)➡米軍主導でアフガニスタン戦争(2001年)とイラク戦争(2003年)➡反欧米を掲げるイスラム過激派組織が勢力を伸ばし「イスラム国」建国を一方的に宣言(2014年)
http://asahi.gakujo.ne.jp/common_sense/morning_paper/detail/id=1084より引用
まさに暴力の連鎖がテロを生んできたのがわかります。
アメリカがイラク戦争で女性、子供も含む何の罪もない多くのイラク市民をどれほど惨たらしく虐殺したか、アメリカが支援しているイスラエルがまるでゲットーのようにガザ地区を孤立させて包囲し、現在もどれほどガザ住民を無差別に虐殺し続けているか、私も過去ブログやツイッターで触れてきました。
あんな惨い仕打ちを受ければ復讐テロも辞さない人間も現れます。そのテロに対し、アメリカは更に暴力で報復してきました。
暴力の連鎖で憎悪はふくらみ、より残忍に過激になり、そうして生まれたのがISIS(イスラム国)です。
アルカイダでさえドン引きする残虐なISISは、アメリカが自分で作り自分で育てたモンスターなのです。
(ですから“自己責任論”が大好きな方々には是非とも「アメリカがテロ組織から狙われるのはそれこそ自己責任だ」と言ってアメリカを非難して欲しい所です)
ブログ「すくらむ」も手がけてらっしゃる井上伸さんのこちらの記事も必読です。
●見捨てられる命、不平等がテロをうむ -後藤健二さんらのシリア人質事件を受けて私たちに何ができるのか?
http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20150207-00042884/
昨夜、「後藤健二さんらのシリア人質事件を受けて今考える~私たちは中東の平和にどう貢献できるのか~」をテーマに緊急集会が開催されました。
緊急集会で戦場ジャーナリストらが共通して強調されていたことなどを私の受け止め含め最初にまとめておくと次のようになります。
「テロには屈しない」などとしてアメリカなどが行っているイラク戦争や空爆などの犠牲になっているのは圧倒的に罪のない子どもら一般市民であるということ。じつはこの事実に対して、日本に住んでいる多くの人々が無関心であったり、対テロ戦争やテロに対する空爆などの報復はテロをなくすためにはしょうがないのではないかなどという感じの無関心や現状追認に流されてしまっていることがそもそも大きな問題であること。
テロの見方についても、突如うまれた残虐な極悪非道のモンスターとだけとらえ、アメリカによるイラク戦争をはじめとする武力行使や残虐な行為こそが残虐なイスラム国を育んで来たというテロを生み出す構造上の問題として把握できないこと。そして、とにかく報復の武力行使でそのモンスターを殺しさえすればテロがなくなるかのような単純な思考で空爆などへ流されてしまっていることが問題で、イスラム国の地域にも700万から800万人の一般市民が暮らしていることを見落とし、報復の空爆によって、罪のない多くの子どもら一般市民の命が奪われていることに思いを寄せることができないでいることが大きな問題であること。
イラク戦争はじめ、中東諸国で奪われている罪のない一般市民数十万人の命は国際的にも見捨てられていること。イラク戦争はじめ空爆は国際法から見ても明らかに違法であり犯罪であるにもかかわらずアメリカはじめ先進主要大国や関連国の罪は一切問われないという不平等な扱いが、中東諸国の一般市民の見捨てられた命として不平等感を日々増殖させ、それがテロをうむという悪循環になっている。日本も協力したイラク戦争をはじめ、アメリカなどによる中東諸国の罪なき一般市民の殺戮は許されて、それを背景とする中東諸国の側によるアメリカ人や日本人の殺戮は「テロ」と呼ばれ「極悪非道」「絶対悪」として「根絶」しなければいけないモンスターとされるこの不平等がテロをうむ大きなファクターになっているということ。
イスラム国が生まれる背景にあるイラクの一般市民十数万人の命を奪ったイラク戦争に協力した日本はこのイラク戦争を反省していないこと。もっと言えば、70年前の日本がイスラム国同様の残虐な侵略戦争を遂行したことについても反省するどころか肯定するかのような言動を繰り返している安倍政権を許してしまっている問題がある。これは日本の一般市民の中東諸国への無関心と現状追認にも連動して、問題を歴史的事実としてとらえ社会構造上の問題として把握できずにいるわけで、戦争する国づくりに前のめりになる安倍政権の暴走を許すことにつながっていること。
戦場を取材すると、「暴力は暴力で止められない」「戦争は戦争で止められない」「テロは対テロ戦争や空爆では止めれない」という結論に至る。そしてこのことを、後藤健二さんはじめ戦場ジャーナリストはできるだけ多くの人に伝えたいがために自分の命をもかけて戦場で取材活動をしている。後藤健二さんがとりわけ戦火の中の子どもらに心を寄せていたのは偶然ではなく、戦争で最も犠牲になるのが罪のない子どもたちであることが戦争のリアルな実態であるということ。
今回の事態を受けて私たち日本人にできることは、どこの国の誰であっても人を殺すことは犯罪であり許してはいけないということ。中東諸国の政治や社会を私たちは直接変えることはできないが、中東諸国への本当の人道支援とともに、日本という国が中東諸国はじめ世界のどの国に対しても空爆する側に回らない、報復する側に回らない、戦争する側に回らない日本政府を私たちの手でつくること。無関心で安倍政権の暴走を許すことになれば、日本が世界中で人を殺していくことになる。一方で殺しておいて一方で人道支援ということにはならない。日本が世界中で人を殺していくことになれば無関心は罪になる。
――以上のような受け止めを私はしました。あくまで私の受け止めですので御了承ください。
(引用ここまで)
「テロとの闘い」とは、まるで戦隊ヒーロー番組みたいに正義のヒーローvs悪の軍団の闘いであり、自分たちを正義のヒーローと位置づけ、悪の軍団を根絶やしにすればハッピーエンドになる、という子供っぽく愚かな発想です。
そんな「テロとの闘い」なんて今後より残虐なテロを拡大再生産するだけ、私たちはそれに与するようなことは絶対にしてはいけません。そんなことをすれば終わりのない泥沼にはまり込み、抜け出せなくなります。
ここまで大きくこじれてしまった憎悪の連鎖を解決するのは一朝一夕にはいかないでしょう。辛抱強くテロを「なくす」方策を続けていくしかありません。
しかしアメリカや安倍氏が望む「テロとの闘い」では、絶対にテロを解決できません。その方法で解決しようと思うなら、どちらかの陣営を一人残らず全滅させるしかないでしょう。
私たちはもっと違う方法を選択しなくてはいけません
しかし、安倍首相は今回の人質事件を機に「テロとの闘い」に何が何でも参加しようとしています。
(つづく)
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