日本の将来には左翼も右翼も要らない

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現在の左翼は過去から何を学んだのか?

新安保法制の事があってから、左派系の人達と接触することが何度かあったが、一言で言うなら失望以外の何物でもなかった。彼等が色々な事を深く考えていて、何かを前に進めて行こうとしている様には全く思えなかったし、かといって、一度立ち止まって考え直してみるという気も全くない様だったからだ。何を言っても同じ紋切り型の答えが返ってくるだけだし、都合の悪い議論には一切乗ってこない。まるでコミンテルンの支配下にあった昔のよく訓練された共産党員の様だ。

かつて多くの人達を巻き込んで幅広く盛り上がった「60年代の大規模な安保闘争」には、東西冷戦の最前線に立たされる事を回避したいという「普通の人達」の「切実な気持」も込められていたが、これが挫折してみると、後に残ったのはどこか白けた気持ちでしかなく、この運動に参加した人達は、そのまま驚くほど自然に高度経済成長の充足感の中に埋没していった。

70年代になると、「どう見ても不正義なベトナム戦争」に米国がのめり込んでしまったかの様に思えたので、これに協力する事に反対するのが、反米を標榜する左派勢力にとっては絶好のテーマとなるかのように思えた。しかし、一部の先鋭的な学生達が「中核」とか「革マル」とかいうセクトを作り、非現実的な暴力革命路線を推し進めて行こうとした為に、これが一般人の反感を買い、日本の左翼運動は次第に衰退していった。

その後日本人が学んだ事は、
1)これまでの左翼の心の拠り所であった「計画経済」では「資本主義」の様な経済発展は望めない(この為、共産政権下の中国でさえ「資本主義」を大幅に取り入れている)。
2)如何なる主義主張を掲げていても、独裁政権は必ず「腐敗」と「強権政治」に陥り、国民に不幸をもたらす。
の二つだった。という事は、新しい時代の左翼は、過去のように自らの将来を託す理想形を「共産主義」や「社会主義」に求める事はもはや出来ず、自ら全く新しい理念を構築せねばならないという事だった。それなのに、その萌芽は、今になっても全くと言って良い程見られていない。

右翼は「反発」だけがモチベーション

ネット上では、一口に「ネトウヨ」と呼ばれている「右翼的な(昔を懐かしむかのような国家主義的な)発言を繰り返す人達」が結構多い。しかし、その殆どは、「自分の思い」をただ繰り返すだけのもので、具体的な提案が含まれている事は殆どない。要するに自分が「怪しからん」と思うものにひたすら罵声を浴びせるだけで、何故そういう「怪しからん」事が起こっているのかを考えようとする気もないし、解決策を考える意欲も持ち合わせていない様だ。

一つ理解出来る事はある。戦後長きにわたって、所謂「自虐史観」を広めてきた「進歩的文化人」「日教組」「主流派のジャーナリスト」「人権派弁護士」等々の「言論活動全般における支配的な力」に対する「反発」が、マグマのように鬱積してきており、もはや黙ってはいられなくなっているという事だ。

終戦直後には、それまでの嘘で固めた「美しすぎる国家意識(皇国史観)」が一瞬にして崩壊したので、その反対の極にある「実は日本軍はこんな酷い事をしていたのだ」という暴露的な本や新聞雑誌記事が人気を博した。

しかし、その中には行き過ぎも多く、「新しい嘘話」も数多く含まれていた。それなのに、情けない事に、「進歩的文化人達」は、味噌も糞も一緒にして、単純にこの全てを肯定したし、主流派のジャーナリストを含む左翼勢力は、旧勢力の復活を抑える為に、或いは中国や韓国の利益に資する為に、これを積極的に利用しようとした。(吉田清治と朝日新聞はこのコンビネーションの典型例。)

ヘイトスピーチなどをやっている一部の人たちを除けば、ネトウヨの人達には、ウンザリさせられる事はあっても、さして害はない。問題は、彼等の「言いっ放し」の言論姿勢が若い人達に与える影響力と、彼等のネット上での声が自民党の右派系の人達に過大評価され、彼等をミスリードする結果を招くのではないかという事だけだ。実はこの人達は一握りにすぎないのだが、右翼の街宣車同様に声が大きいので、実態以上に大きく見える事が問題だ。

勿論、一番の心配は安倍首相自身の心象だ。彼自身がどの様な価値観を持とうと一向に構わないが、彼が不用意な発言を抑えきれなくなると、「中・韓を不必要に刺激する」「欧米諸国に警戒感を持たせて孤立を招く」という二点で、日本の外交政策に不利をもたらす。

ちなみに、この事については、2年近く前の2014年1月6日付のアゴラに、私は「美しい国と普通の国」という安倍首相に若干批判的な記事を寄稿した。思わず苦笑したのは、これを読んだ或る人が、私に「反日」という思いもかけぬレッテルを貼ってくれた事だ。

結論:日本の将来には左翼も右翼も要らない。

今の日本は、ざっと見ただけでも、次の様な大きな問題を抱えている。

1)高齢化社会の進行
2)生産性の停滞と国際競争力の喪失(従って成長機会も喪失)
3)労働政策の蹉跌による格差の拡大
4)不毛な原発論議とエネルギー政策の混乱
5)忍び寄る財政危機
6)教育の停滞による国際的な地位の低下
7)中国の膨張政策に対する抑止力喪失の可能性
8)北朝鮮の暴発への対策の欠如
9)沖縄における国内世論の亀裂が招く米国の対日不信の増大

これらはどれも容易な問題ではなく、異なった解決策を考えている色々な人達が徹底的に且つ真摯に議論を戦わせ、早急に何等かの結論を得た上で、即時実行していかなければならない問題だ。(論点については、「本来あるべき政策論争」と題する11月24日付の私のアゴラの記事をご参照ください。)

こういう状況下で、現在の左翼と右翼に何かが期待できるかといえば、結論は単純にノーである。彼等は真剣な検討に値するだけの何の具体的な提案も持たず、ひたすら空疎な「主張」を連呼しているだけだから、何の助けにもならない。彼等にかまけて時間を無駄にするのは、もうやめよう。まともな議論ができる人達だけで、よく相談していくしかない。民主党がこの人達の中に入ってきてくれる事を期待する。

松本 徹三

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