カトリック教会も英国教会に倣え --- 長谷川 良

アゴラ

「英国国教会が7月14日、ヨーク市で開催中の総会で女性主教を公認決定」というAFPのニュースが流れてきた。主教といえば、高位聖職者だ。カンタベリー大主教に次ぐポストである。キリスト教会史に残る画期的な決定だ。


英国国教会は1970年代から女性聖職者問題を検討してきた。司祭レベルではすでに女性聖職者は誕生している。AFPによると、女性主教の公認を問う採決では、351人が賛成、反対72人、棄権10人という結果で、圧倒的多数で女性主教が支持されたことになる。「女性主教」支持派として有名なのはカンタベリーのジャスティン・ウェルピー総主教とキャメロン首相だという。

英国国教会(聖公会)は1534年、国王の離婚問題が契機となってローマ・カトリック教会と対立した結果、独立教会を創設した歴史がある。バチカン放送独語電子版は同日、「英国国教会が女性主教を認める」というタイトルの速報を流しているところをみると、カトリック教会側は英国国教会の今回の決定に驚きを隠せないのだろう。

女性聖職者問題では、世界に12億人の信者を擁するキリスト教最大宗派ローマ・カトリック教会は常に反対してきた。教会の改革を目指すフランシスコ法王も「聖職以外の教会関連職務に女性の進出を歓迎する」と表明したことがあるが、女性聖職者に対しては従来の教会路線の変更を目下、考えていない。

当方は「なぜ、教会は女性を軽視するか」(2013年3月4日参考)という題のコラムの中で指摘したが、カトリック教会の女性像は簡単にいえば「男尊女卑」だ。旧約聖書創世記2章22節の「主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り……」から由来していると受け取られている。聖書では「人」は通常「男」を意味し、その「男」(アダム)のあばら骨から女(エバ)を造ったということから、女は男の付属品のように理解されてきた面があるからだ。

参考までに説明すると、「教会の女性像」の確立に中心的役割を果たした人物は古代キリスト教神学者アウレリウス・アウグスティヌス(354~430年)といわれる。彼は「女が男のために子供を産まないとすれば、女はどのような価値があるか」と呟いている。「神学大全」の著者のトーマス・フォン・アクィナス(1225~1274年)は「女の創造は自然界の失策だ」とまで言い切っている。歴代のローマ法王の中でもレオ1世(390~461年)は「罪なく子供を産んだ女はいない」と主張し、女性が性関係を持ち、子供を産むことで原罪が継承されてきたと指摘している、といった具合だ。ただし、女性蔑視の思想を持つキリスト教の中で聖母マリアだけはイエスの母親として特別視されてきた経緯がある。

英国歴史の専門家ベトモンド氏はバチカン放送とのインタビューの中で、「英国国教会の今回の決定は聖公会全般からみれば新しいことではない。オーストラリア、ニュージランド、カナダでは既に女性主教は任命されている。英国国教会の決定はその流れに呼応するもので、女性聖職者を認めたパイオニアではない」と説明している。

英国国教会の「女性主教」公認ニュースは、バチカン改革に乗り出しているフランシスコ法王に追い風となるだろう。カトリック教会内で女性聖職者の任命を求める声が高まることが予想される。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年7月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。


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