第1章 野良猫にされた小次郎とマリー
ソマリのマリーはまだ一歳にも満たないが、雑種の小次郎は五歳で野良猫の経験があった。
そんな二匹の心温まる物語だが…
車は野辺山から八ヶ岳の麓に入り、別荘地帯を過ぎたところで停まった。
「寒いな」
「そんなこといってないで、早く捨ててきてよ」
山並みばかり続く景色に飽きて目を閉じているマリーを起こした小次郎が、やっぱりそうだろうと囁いた。
「これからどうなるの?」
「さあな。こらーが捨てるっていうんだから、金ぴかも俺達を捨てるんだろ」
「えー。朝ご飯早かったし、お昼どうする?」
昼どころか、この先どうやって餌にありつけばいいのか、それを考えると憂鬱になる小次郎だった。何しろ捨てられるのはこれが二回目で、小次郎は野良猫の辛さが身に沁みているのだ。
「これも全部、一緒に捨ててきてよ」
こらーが餌と一緒に猫じゃらしなどを詰め込んだダンボールを振り返りながらいった。それに頷いた金ぴかが後ろのドアを開け、そのダンボールを木の根元に置いた。
「こらー。あんたも出て行きなさいよ」
煙草をふかしながらいうこらーの化粧臭い顔が迫り、マリーは太くて長い尻尾を振りながら小次郎の後を追った。
「ほれ。マリー。お前はまだ小さいんだから、小次郎のいうこと聞いて、しっかりするんだぞ」
マリーが金ぴかの顔を見上げた。
「情けない顔すんな。俺達を捨てる男なんだぞ」
「だって、今まで面倒見てくれたんだし」
「あんな女と一緒になるために猫を捨てる男に、未練がましい顔見せるんじゃないよ」
「下の別荘に行けば、お前達を飼ってくれる人見つかるから」
金ぴかが置いたダンボールにはキャットフードが山のように入っていた。また、二匹の健康診断書が目立つところに貼られていた。
「これでお別れだけど、元気でな」
金ぴかは小次郎とマリーに、それぞれ一袋ずつ開封した餌を与えた。
マリーは空腹に耐えられず袋に顔を突っ込むようにして食べ始めるが、小次郎は後姿の金ぴかに怒鳴っている。
「悪いな、小次郎。泣いても、連れて帰るわけにいかないんだ」
「馬鹿野郎!そんなんじゃないや。お前らなんか、ペット飼うな。事故に遭って、死んじまえ」
マリーは小次郎の怒りを理解していた。それで小次郎と一緒に、金ぴかのまわりをうろついていた。
「猫なんて外のがいいのよ。こんなに元気に走りまわってるじゃない」
そういうこらーの脛に噛み付いた小次郎がマリーに合図した。それに気付いたマリーもしゃがんでるこらーの背中を踏み越え、金ぴかの頭から車の上に飛び乗った。
「馬鹿猫。保健所に持って行こうっていうのに、あんたがこんなとこ連れてくるから、噛まれちゃったじゃない」
こらーのストッキングが破れ、血がにじんでいた。金ぴかがハンカチを巻いて手当てをしているが、こらーは恩知らずなドラ猫なんだからと口汚く小次郎とマリーを罵った。
「さ、車に乗るんだ。これ以上邪険に扱ったら、化けて出るぞ」
「変なこといわないでよ。馬鹿猫。早く死んじゃえ」
こらーが枯れ枝を小次郎めがけて投げながらいうが、金ぴかは彼女を押し込んだ車を発車させた。
元気でいろよ。たまには様子見にくるからな、と心の中でつぶやく金ぴかだった。
行っちゃったねと俯きながらマリーがいう。
「あの女。とんでもない奴だ」
小次郎は箱座りで吐き捨てるようにいった。
「本当。化けて出ようか」
「馬鹿だな。化けるってのは、死んでからじゃないとできないんだぞ」
「あ、そうなの?」
「死んで、堪るかってんだ」
「でもさ、これからどうしたらいいの…?」
「心配すんな。お前はまだ子猫だから、誰かが拾ってくれる」
「おじちゃんは…?」
小次郎はここへくる途中見た景色に心当たりがあった。そこへ行くにはどうしたらいいのか、考えているのだった。
「俺は野良だからな…」
「あたし置いて、どっか行っちゃうの?」
マリーが小次郎の顔を見つめながら聞いた。
小次郎はマリーの頭を右手で撫でるだけで、それ以上のことを答えなかった。
梶山は車の外に置いたコンロで珍味の小鯵をあぶり、それを肴に酒を飲んでいる。無数の星が瞬き、東京じゃこんなの見られないと夜空を見上げた。
火を止めたコンロにその目を戻した梶山が、何かがいるのに気付いて飛び上がった。
「何だ。猫かよ」
梶山が驚いた以上に、マリーのが吃驚してふみゃーと泣いたのだ。
「脅かすなよ。狐かと思っただろ」
そういいながら、梶山は口に咥えたままの小鯵を猫に差し出した。
それを見ていた小次郎が、のっそりと歩いてマリーに近づいた。
「ありゃ。二匹もこんなところに。捨て猫か?」
小次郎がみゃーおと泣いてねだると、コンロの網から小鯵を放ってくれた。
「怖い人じゃないっていったでしょ」
「そうみたいだな。それにしても、いい味してるな」
「初めて食べたよ」
「俺なんか、もっと分厚いのを失敬して食べたこと、何回もあるぞ」
「焼いたばかりのは熱いでしょ」
「あー。それを隠れてはふはふしながら食うのは、キャットフードなんか問題ならないぐらい美味いんだ」
「へー。あたしも食べてみたい」
「今はこれで我慢するんだな」
「はいはい。でもさ、この寒い中、あのダンボールじゃ寝られないよ」
「さっきいいところ見つけた。今夜はそこで寝よう」
「さすが、おじちゃんだね」
狐のような尻尾を振りながらもっとくれといってるような猫。それに体は小さいがしぐさが大人っぽい猫。三日月の下でそれを見分けた梶山は、車から蟹の缶詰を取り出して二匹に与えた。
「金ぴかより、いいもの食わせてくれる」
「本当。あたしなんか、これ大好きなのに、二回しか出してくれなかったし」
顔を缶詰に叩きつけるようにしてあっという間に食べた二匹。
「もう、ないよ」
食べっぷりのよさに、梶山が呆れながらいった。
「こんだけ食べたら、眠くなってきた」
「俺もだ。ドア開いてるから、あそこに入ろう」
背伸びしたかと思えば、さっと車に乗り込んだ小次郎とマリー。
「まいったな。俺んところは犬飼ってるから、連れて帰るわけにいかないぞ。ま、今夜は俺も野宿だから、お前達もここでゆっくり寝ていいけどよ」
翌朝梶山は雑炊を食べ、猫にはビーフジャーキーとチーズをやり、荷物をまとめて二匹にじゃーなと別れを告げた。
小次郎がボンネットに飛び乗ってフロントガラスを叩いた。
駄目だろといいながら窓を開け、梶山が小次郎を追い払おうとすると、そこにマリーが飛び込んだ。
「駄目だって。降りろ」
梶山がドアを開けてマリーを追い出そうとするが、小次郎までが乗り込んでしまう始末だった。
「しょうがねーな。俺みたいな貧乏じゃ、お前達を飼うわけいかないんだって」
マリーは助手席でちょこんと座り、梶山の顔を見つめている。小次郎はギアボックスに手をかけ、時には梶山の膝を手で叩いている。
「分かったよ。その代わり贅沢いうなよ」
梶山が二匹の頭を撫でると、甘えた泣き声を返す小次郎とマリーだった。
高速料金をけちって一般道を二時間ほど走ったところで、梶山は小用のために車を停めた。
「お前は、あの男と一緒に行きな。俺は元の飼い主のところに戻るから」
マリーの返事を聞かずに小次郎が車から飛び出した。そして、梶山のそばで何度も礼をいった。
「有難う。マリーを宜しく」
「何泣いてんだ?喉乾いたからって、俺の小便飲むなよ」
「人間に、俺の気持ちが伝わればな…」
小次郎は見覚えのある煙突のほうへ歩き出した。
マリーは梶山のところに一緒に行こうかどうか迷っていたが、親代わりをしてくれていた小次郎の後を追うことにした。
「どこ行くか知らないけど、元気でな」
梶山はそういうと、二匹が元いたところに置かれていたダンボールをトランクから出した。
「腹へったら、ここにくるんだぞ」
小次郎とマリーは梶山に振り返った。だが、小次郎はすぐに歩き出した。
小次郎はまわりに注意しながら、生まれ故郷の匂いがするところにたどり着いた。
「ここだここだ。マリー。疲れたか?」
「くたくただわ」
「三キロぐらい歩いたからな」
飼い主だった村井春樹が戻ってこないことに、小次郎は不思議がった。
「どうしたんだ?いつもなら夕方前に、畑から帰ってくるはずなのに」
「どっかで、お酒飲んでんじゃないの」
「ここにゃそんなとこない」
「あー、おなかへった」
「俺についてきた罰だな」
いつもなら食べては寝る繰り返しのマリーだった。それが今朝四時頃から、ずーっと起きっぱなしだった。
「おなかもそうだけど、眠くなってきたから、そこの座布団で寝る」
「いいよ。俺は起きてるから、心配しないで寝てろ」
かび臭い座布団の上で、マリーはいつものように仰向けになった。
「風邪引くぞ」
小次郎がいっても、疲れ果ててるマリーは前足を半分折ったまま寝込んでしまった。その体にタオルをかけてやる小次郎だった。
小次郎とマリーがいるところは、廃屋になって半年過ぎていた。
村井春樹がいた頃は畑にいろんな作物がなっていたし、彼の好きな干物が冷蔵庫に入っていた。だが、小次郎とマリーが餌にするようなものは、今となっては何も残ってなかった。
小次郎はしかたなく、夜更けに車から降りたところに戻りキャットフードを咥えてきた。
小次郎が出て行った後すぐに目を覚ましたマリーが、一匹で知らないところにいる恐怖で身を縮めていた。
「どこ行ってたのよ」
「どこって、餌がなきゃ死んじゃうからな」
「え?あそこまで取りに行ったの?」
「そんなこといいから、食べろ」
小次郎はキャットフードのパックを犬歯で破った。転がったカリカリをマリーが拾って食べている。くる日もくる日もそんな日が続き、ダンボールのキャットフードもなくなってしまった。
「もう、これで死ぬの?」
「弱気になったらおしまいだ。もっと強くなれ」
「だって、もう三日も草と水だけだよ」
「鼠を探そう」
「何よ。それ」
「マリーにゃ捕まえられないだろうな」
「何々」
小次郎は鼠のことをマリーに話し、それを捕まえに行こうといった。
「あたしは、そんなの気持ち悪くて食べられない」
実際、小次郎が咥えてきた野鼠を、マリーはひとくちも食べなかった。
「食べないと、死ぬんだからな」
「それでもいい。あたしは草で我慢するから」
そのマリーは一日中ほとんど寝ていたが明け方になると雑木林や畑に行き、ときたま捕まえた昆虫などを口にしていた。それでも体は痩せ衰え、狐のように立派だった尻尾まで貧相になっていた。
「病気になったんじゃないのか?」
「分かんないけど、体が熱い」
横に寝そべって動こうとしないマリーの腹を舐めてやる小次郎だが、どうすることもできない。水を飲んで冷たくなった舌で舐めるぐらいしか、手立てがなかった。
「金ぴかの馬鹿が捨てなきゃ、こんなことにならなかったのに」
そういっても、マリーは目をあけなかった。そのマリはー一歳になったばかりだった。
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