かなり寒くなってきましたが、私はまだ暖房を入れていない(笑)。『どうかしているんじゃないか?』と思う方もおられるかもしれないが、いつも自転車に乗っている人間として、家の中でツィードを着ていると、べつになんということはない。英国の大きい家は寒いですから。このくらいの気温は普通のことだ。
高校生時代、勉強部屋が欲しくて、庭に父と3畳ぐらいの小屋を建てた。『ストーヴなどはもちろんない』。寝袋のようなものの中に電熱線が入ったものを着用していた。まあ、よくやっていたと思う。
英国時代のナンバー9もまた、やたらに寒かった。石造りの巨大な部屋はしんしんと冷える。
いまのこどもたちは、そんなことをしないと思いますが、小学生のころ、我々は『基地』と称して、藪の中とか雑木林のなかに小屋を作っていた。小屋といってもローランド・ゴリラの巣のようなもの(爆)。冬でもその寒いところにいたのだから、物好きと言うほかはない。
これはたぶん、トム・ソーヤとハックルベリー・フィンの話とか、マルセル・パニョールの白黒映画とかの影響ではないかと思う。もう、動物の巣をつくる本能が満開したような感じ(笑)。いまのこどもたちは、そういう遊びをする雑木林もはらっぱもないだろう。
そうすると、人の作った小屋を横取りしようとする別のグループが現れる。いまから考えると、おとなのやっている領土戦争もこれと変わらないな、と思う。あるとき、そこへ別のグループが横取りしようとして、我々がゆくと、すでにその別のグループがいた。そこで『こども戦争』になったのだが、我々が鉄拳制裁をくわえて退散させた。おとなの世界なら『自国を侵略から守り抜いた英雄』だが、彼らが学校の先生に言いつけた。我々は校長室に呼ばれたのだが、『どうして、そんなことをやったのか?』と言われたので、『人が苦労して作ったものを盗るのは泥棒だ』と私は答えた。校長先生は『しかし、なぐったり暴力をふるうのはよくない』と言った。そうしたら、プラモデル仲間の“ロク”というのが、『でも、領土を盗られたら、大人は戦車とか飛行機使って人を殺しているじゃないですか』と言った(笑)。りっぱな答えだなぁ。今思い出してもみごとだと思います(爆)。校長先生は答えに困った。『屁理屈を言うな!とにかく、それは先生が許さん。彼らの家へ謝りに行って、仲直りしなさい!』と言われた。
それから、我々はひそかに順繰りに誰かの家に集まって、火鉢でたこやきを作るのに熱中した。寒くなると、そうした過去を思い出す。あの時代、我々がつくるたこやきも、屋台で売っているたこやきも、今のものより紅ショウガとネギが利いていた印象がある。
いまから考えると、どこの出版社が出していたのかわからないが、12巻ぐらいの全集で、第二次世界大戦のことが詳細に写真入りで出ている本があった。なにせ一冊まるまる『スターリングラードの激戦』とかいう巻になっていた。そういう本の写真を見て、戦車のプラモデルの塗装を、それらしく仕上げたりしていた。先のロクも、週に一回の図書の時間に、よくその全集を読んでいた。だからあの校長先生への切り替えしが出てきたのだろう。
私はこの話は、現代につながる話だと思っている。動物界でも、他の動物のテリトリーに入ったら戦い、争いが起こる。ところが中東の宗教では、他の人の土地や都市を攻め込んで奪うのはあたりまえ。神の命令でそこへなだれこみ、旧約聖書などには『女もこどももみな殺せ。ただ処女だけは生かして残しておけ』などと、申命記やヨシュア記など、いたるところに書いてある。『息のあるものは残さなかった』ヨシュア記の10章11章を読んでみると良い。これはイスラームでも『彼らの都市を乗っ取ってしまえ』と書かれている。
これは、仏教には他の人たちの国を盗ってしまえ、などとは一行も書かれていない。
しかし、現代においては戦争という手段によらず、その国を奪ってしまうことが起こりうる。というより、いま、まさにそれが進行中なのだ。世界超金持ち会議は、ながらく『ナショナル・アイデンティティを持たせない』方針でやっている。それは、『選挙で落選させることが出来ない、上位1%に満たないエリートの超金持ちたちの、世界統一政府を作り、彼らが恒久的に支配階級にとどまる計画。』と言ってよい。その実現にもっとも邪魔なのが、”ナショナル・アイデンティテイ”。だから伝統文化や価値観、宗教を壊そうとする。これがパンデミックの時”キャンセル・カルチャー”としてものすごく活発になった。
それには『国民総入れ替え』も辞さないようだ。バイデンがアメリカでやっていた国境開放政策や、キア・スターマが英国でやっている不法移民を大量に入れる計画、これらはすべて、同じだろう。首相のキア・スターマは最近何と言ったか?『我々政府の方針が気に入らないなら、ドアは広く開け放たれている。この国を出て行け』。さて、中世に建てられた聖堂など、それはいままで、さんざん戦争を繰り返して、貧しいままでやってきた国が『豊かさにあこがれてやってきて、俺たちのものだ!』と言える性質のものなのか?
アフガニスタンが仏教国だった時、あそこはたいへん豊かなエリアだった。中東の宗教では、カインとアベルの話が出てくる。アベルは羊飼いとなり、羊を神にささげた。カインは農民となり、農作物を神にささげた。しかし、神は羊をよろこび、カインの農作物をよろこばなかった。それを根に持ったカインはアベルを殺害する話が旧約聖書の創世記第四章にでてくる。これは”遊牧民のほうが農民より神に気に入られた高潔な人である”というプロパガンダ・ストーリーだろう。
私は中東で、彼らがずいぶん農民をあしざまに言うのを耳にした。『あいつらはイヌのように働き、、』というのがまくらことばのようになっていた。イスラーム世界ではイヌは軽蔑されている。
興味深いのは、仏教が栄えるところは、ほとんどが農業国。『自分が食べる以上を生産できないと、托鉢の人を支えることも、修行者を扶養することも出来ないだろう。』そして、戦乱が続けば、即座に農地は荒れる。
お隣の国では、何十年も戦争が続き、ついに食べるものがなくなって、断崖絶壁のツバメの巣とか、洞窟の中のコウモリのふんから蚊の眼玉を洗い出して食べるまでになった。そして、人もついには食べた。
いま、ヨーロッパでは、世界超金持ち会議の連中が、肉食を禁ずる方向で動いている。そしてチーズなどの酪農も禁止。そういう人たちはこの30年、40年、一部にはいた。ガンで亡くなったリンダ・マッカートニー(ポールの配偶者)は、菜食主義者で、ミルクも禁止していた。それに関して『大人になってもミルクを飲んでいる動物は人間だけだ』という理由を述べていた。そして、『サラブレッドは肉を食べないが、速く走ることが出来る」と、”一切肉を食べさせないで育成した選手たちによる、ロードレースのチーム”を立ち上げた。彼らが勝った話は聞こえてこない。
たとえば、現在のイタリア料理は、そのルーツを古代ローマの料理、さらにはギリシャの古代料理につながっているだろう。その数千年の食文化とノウハウをすべて、肉はダメ、チーズダメ、ミルクダメ、”牧畜、酪農禁止”で消してしまおうとしている。正気の沙汰とは思えない。
いま、名前が変わってしまっているが、かつては、『ハギア・ソフィア』は世界最大のキリスト教建築だった。ロシアの皇帝は、あれを見て、ヴァチカンのローマン・カソリックではなく、東方正教会に国のキリスト教をすることを決定した。その建築はいまモスクになっている。すでに数百年間、キリスト教徒は取り返せていない。奪われたままだ。
ロンドンの人口構成比率が、このまま推移し、何世代も英国で代々生まれ育った人たちの割合が減れば、ハギア・ソフィアの時と同じように、セント・ポールがモスクになるなどと言うことも、充分ありうるのではないかと、私は思う。まずその前に、オックスフォードのクライスト・チャーチを礼拝したいからモスクとして使用させろ、という生徒があらわれてくるのではないか?
これは、日本も『他人事では済ませられない』と思います。”リプレイスメント・セオリー”というのは頭の片隅に入れておいた方がよい。