アルゴリズム教育構想
2006年の11月、マックス・ベンゼの「情報美学」を翻訳された、当時多摩美術大学グラフィックデザイン学科教授の草深幸司先生を中心に、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科教授の下村千早先生、そして情報美学研究の創始者であり、マルコフチェーンによる平面構成で有名な川野洋先生らによって、多摩美術大学で「20世紀コンピュータ・アートの軌跡と展望──現代アルゴリズム・アートの先駆者・現代作家の作品・思想」展が開催された★1[fig.1]。
著者もそのスタッフの一員として、展覧会の企画開催と作品の出展を始め、カタログの執筆やシンポジウムの司会などを行なった。この展覧会では、サブタイトルの通り、1960─70年代のコンピュータの黎明期に、計算や情報といった新たな概念と出会い、そこから新たな芸術や表現の世界を探求した先駆者たちの作品にスポットをあて、それらを展示回顧することで、その背後にあった、アルゴリズムやプログラミングの思想や美学を再評価し、今日のコンピュータ/ネットワーク文化のもとで、それらをさらに先に進めていくことを目的としていた。
ゲオルグ・ネース、フリーダー・ナーケ、ヴォルフガング・キーヴス、マンフレッド・モールといった先駆者らの、今からみれば単なる線画としかいえないような諸作品は、しかしそれが当時の未成熟なハードウェアをなんとかやりくりして制作していたがゆえに、技法や手法の枠を越えた不思議な迫力を持って迫ってくる。
そうした力に溢れた作品と対峙していると、このアルゴリズミックな諸作品を「模写」してみたくなる欲求がふつふつと湧いてくる。いうまでもなく、模写や模造は、洋の東西を問わず、古くから多くの芸術家によって繰り返し行なわれ、単なる技術や技法の習得を越えて、さらなる創造を生み出すための原動力になってきた。
今日のProcessingやopenFrameworks★2のようなプログラミングの入門環境は、初期のコンピュータ・アートの模写には最適である。点を打ち、線を引き、面を塗る。「アルゴリズム模写」では、こうした構成的な造形の要素を用いて、作品を手やペンではなく、プログラム・コードによって模写をする。そんなアルゴリズム模写において最も重要なのは、プログラミングの技法ではなく、形や色、その関係をアルゴリズムによって構成する、アルゴリズムそのものに対する想像力だ。
アルゴリズム模写のもうひとつの特徴は、ひとたび表現をプログラム・コード化してしまえば、アルゴリズムのパラメトリックな操作やプログラムを実行するメディア(マシン)の速度や量の増加によって、模写が単なる模倣を越えて、新たな質を持ったオリジナルになることだ。前述のコンピュータ・アートの先駆者のひとりであるゲオルグ・ネースの《Schotter(砕石)》★3という60年代の作品を模写したiPhoneアプリ★4では、秩序だった正方形の列が乱数によってしだいに乱れていく度合いをタッチスクリーンでコントロールすることで、オリジナルの模写にとどまらない新たなイメージを創出する[fig.2]。さらに正方形の数や速度(この作品では秩序が崩壊していく時間的変化を空間によって表現している)を桁違いに増加させたり、インタラクションの方法や速度を変化させることで、多彩なヴァリエーションが生まれうる。
CGIのパイオニアであるジム・ブリンのプログラミングエッセイ『Jim Blinn's Corner』第1集の冒頭には「あなたは何通りの方法で円を描けますか?」というタイトルで、15通りの円の描写アルゴリズムが紹介されている★5。模写を行なう際に用いるアルゴリズムは一意に定まらず多様だが、アルゴリズムの選択によって、そこから生まれる質の変化は大きく異なってくる。アルゴリズムは単なる表象ではなく、その内部にある構造の表現であるからだ。
加えて、メディアの進化による量と速度に対する想像力も重要だ。一つひとつの単純なプロシージャ(プログラムにおいて、複数の処理を一つにまとめたもののこと。日本語では「手続」という)が、相互に関連しながら高速大量に実行されると、一体何が起るのか。建築やインスタレーションにおけるスケールをアルゴリズム化することが難しいのと同様に、単純なアルゴリズムを、高速かつ大量に実行することから生みだされるものを想像するのも、実は非常に困難なのだ。
こうしたアルゴリズム模写は、何もコンピュータ・アートのような2次元の表現に限らず、ヨハネス・イッテンやジョセフ・アルバースが探求した色彩構成や、彫刻や建築のようなヴォリューム表現、キネティックアートやインターフェイスのようなダイナミックな表現、あるいはコンピュータ・ミュージックのような音響表現など、さまざまな表現に適用できる。例えば、香港、ニューヨーク、コペンハーゲン、ロサンジェルス、そして東京のさまざまな建築形態を1001個集めた『SITELESS: 1001 Building Forms』★6という本がある[fig.3]。ここに含まれている多様な形態をgrasshopper★7のような、アルゴリズミックなモデリング・ツールで模写することは、アルゴリズミックな想像力とそれをコーディングするスキルを鍛錬するための、格好のエクササイズになるだろう。
順序が逆になるが、この『SITELESS』のような本を作成する能力、つまり形を抽象する能力も、アルゴリズミックな表現のためにはとても重要である。僕は2008年8月に東京目黒の国立科学博物館附属自然教育園で開催された「自然を見る眼:菌類の採集・分離と観察」という生態学実習に参加し、そこで菌類の顕微鏡スケッチを体験した[fig.4]。通常の鉛筆デッサンでは、眼で見たままを描くことが、その基本となっているが、顕微鏡で生物を観察する際に必要なのは、眼で見たままを描くことよりもむしろ、何をどこまで見ているのか(見ないのか)を明確にすることで、同じ種に共通する、つまり種の違いを見分ける形態的特徴を分節抽象し、実物に根差して再構成することである。これはいわば、カンディンスキーがバウハウスで行なった「分析デッサン」と同種のエクササイズであり、アルゴリズムによる表現とも深くかかわっている。アルゴリズムのことを制御やプロセスの抽象と呼ぶように、こうした造形の抽象化能力こそが、アルゴリズミックな表現を実践するための鍵なのだ。
加えて顕微鏡スケッチでは、顕微鏡の焦点深度が非常に浅いため、立体的な形態を描写する際には、少しずつ顕微鏡の焦点の位置をずらしながら、すなわち2次元のスライス画像をゆっくりと縦方向にスキャンしながら、3次元の形態を頭のなかで再構築する必要がある。これは形の抽象のみならず、2次元スクリーンから3次元形態を複製する、CGI制作にとってはなくてはならない空間感覚の育成にも役に立つ。
今日の美術デザイン教育において、鉛筆デッサンや平面構成、立体構成、あるいは色彩構成といったカリキュラムが、さまざまな表現に通底する、いわば表現のための一般教養として広く取り入れられている。同様に、ここで紹介したプログラム・コードを用いたアルゴリズム模写や顕微鏡デッサンは、アルゴリズミックな表現の基礎となる、アルゴリズムに対する感覚や想像力を拡げるための、一般教養エクササイズと呼ぶことができる。さらに昨今随所で話題になっている、プログラム・コードから生み出された造形を物質として実体化するレーザーカッターや3次元プリンタなどのファブリケーション・ツールを、こうした基礎課程教育のなかに大胆に取り入れ、情報(ビット)と物質(アトム)の両者を、知覚や身体を通じてハイブリッドに組み合せていくことで、それは広く新時代のアルゴリズム教育と呼び得る、美術デザインの枠組みを越えた、新たな造形表現カリキュラムの構築につながっていくだろう。
- fig.1──「20世紀コンピュータ・アートの軌跡と展望」展会場風景
著者もそのスタッフの一員として、展覧会の企画開催と作品の出展を始め、カタログの執筆やシンポジウムの司会などを行なった。この展覧会では、サブタイトルの通り、1960─70年代のコンピュータの黎明期に、計算や情報といった新たな概念と出会い、そこから新たな芸術や表現の世界を探求した先駆者たちの作品にスポットをあて、それらを展示回顧することで、その背後にあった、アルゴリズムやプログラミングの思想や美学を再評価し、今日のコンピュータ/ネットワーク文化のもとで、それらをさらに先に進めていくことを目的としていた。
ゲオルグ・ネース、フリーダー・ナーケ、ヴォルフガング・キーヴス、マンフレッド・モールといった先駆者らの、今からみれば単なる線画としかいえないような諸作品は、しかしそれが当時の未成熟なハードウェアをなんとかやりくりして制作していたがゆえに、技法や手法の枠を越えた不思議な迫力を持って迫ってくる。
そうした力に溢れた作品と対峙していると、このアルゴリズミックな諸作品を「模写」してみたくなる欲求がふつふつと湧いてくる。いうまでもなく、模写や模造は、洋の東西を問わず、古くから多くの芸術家によって繰り返し行なわれ、単なる技術や技法の習得を越えて、さらなる創造を生み出すための原動力になってきた。
今日のProcessingやopenFrameworks★2のようなプログラミングの入門環境は、初期のコンピュータ・アートの模写には最適である。点を打ち、線を引き、面を塗る。「アルゴリズム模写」では、こうした構成的な造形の要素を用いて、作品を手やペンではなく、プログラム・コードによって模写をする。そんなアルゴリズム模写において最も重要なのは、プログラミングの技法ではなく、形や色、その関係をアルゴリズムによって構成する、アルゴリズムそのものに対する想像力だ。
アルゴリズム模写のもうひとつの特徴は、ひとたび表現をプログラム・コード化してしまえば、アルゴリズムのパラメトリックな操作やプログラムを実行するメディア(マシン)の速度や量の増加によって、模写が単なる模倣を越えて、新たな質を持ったオリジナルになることだ。前述のコンピュータ・アートの先駆者のひとりであるゲオルグ・ネースの《Schotter(砕石)》★3という60年代の作品を模写したiPhoneアプリ★4では、秩序だった正方形の列が乱数によってしだいに乱れていく度合いをタッチスクリーンでコントロールすることで、オリジナルの模写にとどまらない新たなイメージを創出する[fig.2]。さらに正方形の数や速度(この作品では秩序が崩壊していく時間的変化を空間によって表現している)を桁違いに増加させたり、インタラクションの方法や速度を変化させることで、多彩なヴァリエーションが生まれうる。
- fig.2──左:ゲオルグ・ネースの「Schotter」をアルゴリズム模写し、正方形の数をオリジナルの12×22=264マスから200×150=30000マスに拡張したもの。正方形の数が増えることで、砕石のイメージが襞のイメージに変化していく。右:iPhoneアプリ「Schotter」
CGIのパイオニアであるジム・ブリンのプログラミングエッセイ『Jim Blinn's Corner』第1集の冒頭には「あなたは何通りの方法で円を描けますか?」というタイトルで、15通りの円の描写アルゴリズムが紹介されている★5。模写を行なう際に用いるアルゴリズムは一意に定まらず多様だが、アルゴリズムの選択によって、そこから生まれる質の変化は大きく異なってくる。アルゴリズムは単なる表象ではなく、その内部にある構造の表現であるからだ。
加えて、メディアの進化による量と速度に対する想像力も重要だ。一つひとつの単純なプロシージャ(プログラムにおいて、複数の処理を一つにまとめたもののこと。日本語では「手続」という)が、相互に関連しながら高速大量に実行されると、一体何が起るのか。建築やインスタレーションにおけるスケールをアルゴリズム化することが難しいのと同様に、単純なアルゴリズムを、高速かつ大量に実行することから生みだされるものを想像するのも、実は非常に困難なのだ。
こうしたアルゴリズム模写は、何もコンピュータ・アートのような2次元の表現に限らず、ヨハネス・イッテンやジョセフ・アルバースが探求した色彩構成や、彫刻や建築のようなヴォリューム表現、キネティックアートやインターフェイスのようなダイナミックな表現、あるいはコンピュータ・ミュージックのような音響表現など、さまざまな表現に適用できる。例えば、香港、ニューヨーク、コペンハーゲン、ロサンジェルス、そして東京のさまざまな建築形態を1001個集めた『SITELESS: 1001 Building Forms』★6という本がある[fig.3]。ここに含まれている多様な形態をgrasshopper★7のような、アルゴリズミックなモデリング・ツールで模写することは、アルゴリズミックな想像力とそれをコーディングするスキルを鍛錬するための、格好のエクササイズになるだろう。
- fig.3──Francois Blanciak,
Siteless: 1001 Building Forms,
The MIT Press, 2008.
順序が逆になるが、この『SITELESS』のような本を作成する能力、つまり形を抽象する能力も、アルゴリズミックな表現のためにはとても重要である。僕は2008年8月に東京目黒の国立科学博物館附属自然教育園で開催された「自然を見る眼:菌類の採集・分離と観察」という生態学実習に参加し、そこで菌類の顕微鏡スケッチを体験した[fig.4]。通常の鉛筆デッサンでは、眼で見たままを描くことが、その基本となっているが、顕微鏡で生物を観察する際に必要なのは、眼で見たままを描くことよりもむしろ、何をどこまで見ているのか(見ないのか)を明確にすることで、同じ種に共通する、つまり種の違いを見分ける形態的特徴を分節抽象し、実物に根差して再構成することである。これはいわば、カンディンスキーがバウハウスで行なった「分析デッサン」と同種のエクササイズであり、アルゴリズムによる表現とも深くかかわっている。アルゴリズムのことを制御やプロセスの抽象と呼ぶように、こうした造形の抽象化能力こそが、アルゴリズミックな表現を実践するための鍵なのだ。
- fig.4──多摩美術大学情報芸術コース1年生を
対象に実施した顕微鏡デッサン演習の1コマ
加えて顕微鏡スケッチでは、顕微鏡の焦点深度が非常に浅いため、立体的な形態を描写する際には、少しずつ顕微鏡の焦点の位置をずらしながら、すなわち2次元のスライス画像をゆっくりと縦方向にスキャンしながら、3次元の形態を頭のなかで再構築する必要がある。これは形の抽象のみならず、2次元スクリーンから3次元形態を複製する、CGI制作にとってはなくてはならない空間感覚の育成にも役に立つ。
今日の美術デザイン教育において、鉛筆デッサンや平面構成、立体構成、あるいは色彩構成といったカリキュラムが、さまざまな表現に通底する、いわば表現のための一般教養として広く取り入れられている。同様に、ここで紹介したプログラム・コードを用いたアルゴリズム模写や顕微鏡デッサンは、アルゴリズミックな表現の基礎となる、アルゴリズムに対する感覚や想像力を拡げるための、一般教養エクササイズと呼ぶことができる。さらに昨今随所で話題になっている、プログラム・コードから生み出された造形を物質として実体化するレーザーカッターや3次元プリンタなどのファブリケーション・ツールを、こうした基礎課程教育のなかに大胆に取り入れ、情報(ビット)と物質(アトム)の両者を、知覚や身体を通じてハイブリッドに組み合せていくことで、それは広く新時代のアルゴリズム教育と呼び得る、美術デザインの枠組みを越えた、新たな造形表現カリキュラムの構築につながっていくだろう。