なんでも作れる時代に、何を作るか — アラン・ケイとAI時代のプロダクトデザイン

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enechainプロダクトデザインデスクの近藤(@add_kk)です。電力や環境価値の取引、トレーディングに関するデザインを主に担当しています。

先日、社内のLT会でアラン・ケイについて紹介したとき、こんな反応がありました。

「未来人すぎる」
「タイムトラベラーでは?」
「その時代にタッチ操作を考えているのすごい」

確かに、Dynabookの構想やGUIの話を振り返ると、そう言いたくなる気持ちはよく分かります。40年以上前に、今のiPadやスマートフォンに近いものを構想していたわけですから。

ただ、話しながら少し違和感もありました。アラン・ケイは本当に「未来を予測した人」だったのでしょうか。

むしろ本質はそこではなく、「コンピュータとは何か」という前提そのものを変えたことにあるのではないか、と感じています。

アラン・ケイとは何者か

 アラン・ケイ: Photo by Jeanbaptisteparis, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
アラン・ケイ: Photo by Jeanbaptisteparis, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

アラン・ケイは、「パーソナルコンピューティングの父」と呼ばれる研究者です。
1970年代にXerox PARC(パロアルト研究所)で研究を行い、現在のコンピュータ体験の基礎となる多くのアイデアに関わりました。GUIやオブジェクト指向プログラミング、そしてタブレット型デバイスの原型となる概念など、その影響は広範囲に及びます。

後にAppleのMacintoshやiPhone、iPadへとつながっていく流れの起点にいた人物の一人でもあります。

今のコンピュータ体験の多くはここから始まっている

アラン・ケイの仕事は多岐にわたりますが、現在の私たちの体験に直結しているものとして、いくつか代表的なものを紹介します。

Dynabook — 「個人のためのメディア」という構想

ケイとDynabookプロトタイプ: Photo by Marcin Wichary, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons
ケイとDynabookプロトタイプ: Photo by Marcin Wichary, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

1960年代後半、コンピュータがまだ巨大で高価な装置だった時代に、ケイは「ノートのように持ち運べる個人用コンピュータ」を構想しました。それがDynabookです。

フラットなディスプレイ、ネットワーク接続、タッチ操作、電子書籍。その多くは、現在のiPadやスマートフォンに非常に近い構想です。

ケイは1972年の論文 A Personal Computer for Children of All Ages の中で、このようなコンピュータを「すべての年齢の子供のための個人用メディア」として描いています。

ただし重要なのは、そのスペックではなく思想です。Dynabookは「消費するための装置」ではなく、誰もが読み、書き、そして自分で作ることができるメディアとして構想されていました。

GUI — コンピュータを「触れる」ものにした

Xerox Alto(1973)— マウスとビットマップディスプレイを備えた、現代GUIの原型となったコンピュータ: Photo by Ed Uthman, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
Xerox Alto(1973)— マウスとビットマップディスプレイを備えた、現代GUIの原型となったコンピュータ: Photo by Ed Uthman, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

現在では当たり前になっている、ウィンドウやアイコン、マウス操作によるインターフェイス。これらは、アラン・ケイも在籍していたXerox PARC(パロアルト研究所)の研究チームによって発展しました。

コマンドを入力するのではなく、画面上のオブジェクトを直接操作する。この変化によって、コンピュータは一部の専門家のものから、より多くの人が扱えるものへと変わっていきます。

ケイは後年の論考でも、ユーザーインターフェイスを単なる見た目や操作性の問題としてではなく、「人間がどのように理解するか」という観点から捉えています。

Smalltalk — コンピュータの見方そのものを変えた

Smalltalk-76 スクリーンショット: Xerox PARC / Wikimedia Commons, Public Domain
Smalltalk-76 スクリーンショット: Xerox PARC / Wikimedia Commons, Public Domain

Smalltalkは、オブジェクト指向プログラミングの概念を体系化した言語・環境の一つです。
ただしケイ自身は後に、「重要なのはオブジェクトではなくメッセージングだ」と述べています。

本質は、システムをどのような関係性ややり取りとして捉えるかにあります。この「関係性として捉える」という視点は、コンピュータをどのように理解するかという考え方そのものに影響を与えています。

Appleのプロダクトとケイの思想

1979年、AppleのチームがXerox PARCを訪れ、GUIのデモを目にしたことはよく知られています。これが後のMacintoshの開発につながり、さらにiPhoneやiPadへと連なっていきます。特にDynabookの構想とiPadの類似は象徴的です。

「持ち運べる個人のためのコンピュータ」というビジョンは、形を変えながら実現されてきました。

未来を当てたのではなく、前提を変えた

ここまでの話を振り返ると、ケイが「未来を予測した人」と言われる理由も理解できます。ただ、本質はそこではないように思います。

ケイが行ったのは、「これから何が流行るか」を当てることではなく、コンピュータとは何かという前提そのものを変えることでした。

「メディアはメッセージである」

この「メディア」という考え方の背景には、マーシャル・マクルーハンの影響があります。
マクルーハンは「メディアはメッセージである」と述べました。

これは、メディアは単なる情報の器ではなく、それ自体が人間の思考や認識のあり方を変えてしまう、という考え方です。例えば、スマートフォンというメディアは「常に手元にあり、断片的に情報を取得する」という行動や思考を自然に生み出しています。

私たちはスマートフォンを“使っている”というより、その前提に思考を適応させているとも言えます。

コンピュータは「思考のためのメディア」である

ケイはこうした考えに触れ、コンピュータを「ツールではなくメディア」と捉えるようになります。実際、1970年代の論文でもコンピュータを「新しい種類のメディア」として位置づけており、それを通じて人間の思考や学習のあり方が変わる可能性を強調しています。

それは単に何かを効率よく処理するための道具ではなく、人間の理解の仕方や、考え方そのものに影響を与える存在です。

「使う」だけでなく「作れる」メディア

ここで重要になるのが、「作れる」という観点です。

ケイの構想するコンピュータは、あらかじめ用意された機能を使うだけのものではなく、ユーザー自身が環境を書き換えられるメディアでした。Smalltalkの環境はその典型で、システムそのものをユーザーが変更・拡張できるように設計されています。

例えばFigmaでは、単に画面をデザインするだけでなく、そのままインタラクションを定義し、プロトタイプとして動かすことができます。 さらにプラグインを使えば、ツールそのものを拡張することもできます。ユーザーが環境に適応するのではなく、環境を自分で変えられる。この感覚は、ケイの考えていたコンピュータ像にかなり近いもののように感じます。

Dynabookの構想では、子供たちが自らプログラムを変更しながら学ぶ様子が描かれており、単なる情報消費ではなく「理解し、作る」ことが重視されていました。

最近、自分自身もAIを使ってちょっとしたツールやアプリケーションを作ることが増えてきています。Claude CodeやCodexのようなツールを使えば、思いついたアイデアをその場で形にできるようになってきました。

その体験は単に便利というよりも、「環境そのものに手を入れられる」という感覚に近いものがあります。自分の欲しいものを自分で作れるという体験は、思っていた以上に楽しく、同時に考え方そのものにも影響を与えているように感じます。

こうした状況は、ケイが考えていた「誰もが読み、書き、そして作れるメディア」というコンピュータ像に、かなり近づいてきているのかもしれません。

AI時代の違和感

ここ数年で、AIは急速に進化しました。 簡単なアプリケーションであればアイデアから実装までを一人で完結できるようになってきています。これは単に効率が上がったというより、「作ること」の敷居そのものが変わりつつあるとも言えます。

実際に自分でも、AIを使ってちょっとしたツールや画面を作る機会が増えてきました。思いついたものをその場で形にできる感覚は、これまでにはなかったものです。

ただ一方で、「これは本当に作る意味があるのか」と手が止まることも増えてきました。
作れることと、作るべきことの間にある距離が、以前よりもはっきりと見えるようになってきたように感じます。

アラン・ケイ自身も、現在のAIについて「有用ではあるが、それ自体が人間の知性を代替するものではない」といった趣旨の発言をしています。

AIがどれだけ高度になったとしても、それはあくまで私たちの思考を拡張するためのものであり、何を考え、何を作るのかという問いそのものを肩代わりしてくれるわけではありません。

そう考えると、いま私たちが感じているこの違和感は、AIの限界というよりも、「何を作るべきか」という問いがこちら側に戻ってきていることの表れなのかもしれません。

「何を作るか」から「何を変えるか」へ

こうした変化を踏まえると、この流れは次のように整理できるように感じます。

  • 「どう作るか」から「何を作るか」へ
  • さらに言えば、「何を変えるか」へ

というシフトが起きているように見えます。

例えば、普段私がデザインを担当しているトレーディングのUIにおいても、単に注文を早く正確に出せるだけでなく、「市場をどう捉えるか」や「次に何をするか」といった思考の流れをどのように支援するかが重要になります。

実際に設計をしていると、「どの情報を見せるか」以上に、「どういう見方を促すか」で迷う場面が増えています。

そうした迷いが増える中で、プロダクトを設計するためには、ドメインやユーザーの行動はもちろんのこと、「ユーザーがどう考えているか」まで理解する必要があると感じるようになってきました。それはこれまでも重要だったものの、これからはさらに意識的に、より深く向き合う必要があるのだと思います。enechainのデザイナーとしても、こうした視点により重点を置きながら、ユーザー理解をさらに深めるための取り組みを少しずつ進めています。

それは「どのような思考を支援するのか」を設計することそのものなのだと思います。

ただ、「促す見方」はユーザーによって異なります。トレーダーによって市場の捉え方も判断の流れも違う。そう考えると、こちらが最小公倍数的な画面を用意して提供するより、使う人が自分の思考・志向に合った画面を自分で作れる場を提供する方が自然なのではないか、と感じるようになってきました。

もしコンピュータがメディアであるなら、私たちが設計しているのは単なるUIではなく、思考そのものが行われる場なのかもしれません。

なんでも作れる時代だからこそ、「何を作るか」という問いそのものが、プロダクト設計の中心に置かれつつあるように感じます。

おわりに

AIによって「作ること」が大きく変わりつつある今、その変化をどう使うかは、私たち自身に委ねられているのかもしれません。

それは、ケイが考えていた「思考を拡張するメディア」としてのコンピュータのあり方にも、通じるものがあるように感じます。

こうした視点で改めて考えてみると、自分自身も含めて、これまでプロダクトの価値を「便利さ」や「使いやすさ」といった観点を中心に捉えることが多かったように思います。

それ自体は今でも重要な要素ですが、それに加えて、ユーザーの思考や判断にどのような影響を与えているのか、という視点も必要になってきているのかもしれません。

プロダクトはツールなのか。 それとも、人の思考に働きかけるメディアなのか。

この記事を書きながら、自分自身もプロダクトを「何を作るか」という観点で見直すことが増えてきました。 これからは「どう作るか」だけでなく、「何を作るか」という問いそのものに、もう少し意識的でありたいと思っています。

参考

もしアラン・ケイの考えに興味を持った方は、以下の資料が参考になります。

英語の資料が多いですが、最近はAIを使って概要を把握したり、日本語で読み解くハードルも下がってきています。

また、アラン・ケイの古典的な論文については、Tadao Yamaokaさんが複数回にわたって丁寧に解説されている記事もあり、原典にもう少し踏み込みたい方にはこちらもおすすめです。

https://tadaoyamaoka.hatenablog.com/entry/2025/08/11/110835 (全5回の連載)


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