LL教室
おそらく今50歳前後の人たちがうっすらと記憶しているであろう、もうなくなってしまった学校の設備がある。それをLL教室という。
LLとは何の略か。Language Laboratory、すなわち語学研究のための教室である。
机に埋め込まれたカセットテープ再生装置と、ヘッドセット。学習者は何度もカセットテープを巻き戻して聞き取り(リスニング)の練習ができる。
もう少し若い読者にとっては、カセットテープそのものが未知のものかもしれない。昔、音声は全て磁気テープに記録されるのが普通だった。場合によっては、音声以外のもの、例えばプログラムも磁気テープに保存されていた。
僕らの世代は、LL教室が消えてコンピュータ教室へと変化する最初の世代だったと思う。
今月三回目となる長岡への往訪は、中学校に寄付したAI/深層学習パソコンのメンテナンスが目的だった。
まさか自分がこんなに頻繁に中学校に来ることになるとは思わなかったが、LL教室だった場所がコンピュータ教室になり、そこで最初にプログラミングの授業をした(なぜなら当時の技術家庭科の内藤教諭はプログラミングなどできなかった)僕が、35年もの時を経て再び舞い戻り、今度はAIについて啓蒙する場所を作ることになるとは、人生とはなんと数奇なものだろうか。
でもずっとこういうことをしたかった。
小学三年生の時に公立小学校を退学になり、逃げ延びて国立新潟大学教育学部附属長岡小学校に転じた当初、なぜか噂を聞きつけた佐藤副校長先生(当時の附属の校長は新潟大学の教授の名誉職であり、副校長が実質的な校長業務を担当していた)が、「こんどコンピュータ教室を作るのだが、君はコンピュータに明るいという、みんなに公開する前に一度見てみないかね」と誘われて、できたばかりのコンピュータ教室を訪問した。
「これからの時代、コンピュータを活用する人間が必ずうんと必要になる。君にはぜひその先鞭をつけていただきたい」
問題を起こして転向してきた問題児を、こうまで厚くもてなしてくれることに、子供心にも感謝した。
実際、小学校のコンピュータ教室は、実質的にほとんど僕とその仲間しか使わなかった。家庭科の授業で使うレーダーチャートのプログラムを書いたのが、僕にとって人様に披露する最初のプログラムとなった。その経験が、もちろん今の僕を形作っているのはいうまでもない。
いつかこの恩を返したいとずっと願っていたのだが、思いがけない縁でそれが実現した。今の子供達も直接なにがどうということはなかろうが、これから先の時代、人工知能を活用する人材がうんと必要になることはもはや疑いようもない。人工知能を活用する人材となるために、まず第一に、手元に自由に人工知能に触れる環境があること。これが最優先である。
今の僕の持つ乏しい財力では、せいぜい3台程度の、ささやかな計算機を寄贈するに留まる。それにしても、ないよりはマシだろう。
実は附属長岡には県内で第二位の威容を誇る15センチ屈折式天体望遠鏡が設置されている。僕はそれを大いに活用し、中学時代の夏休みは毎日太陽の黒点の観察記録に励んだ。
黒点の観察というのは、恐ろしく地道な作業である。望遠鏡の接眼レンズにサングラスをつけ、投影した板に紙を乗せて黒点の位置を記録する。しかし太陽とて自転しているため、早く描かないと黒点は移動してしまう。とは言っても太陽の自転周期は25-30日(緯度によって違う)なのでそこまでダイナミックに動くものではないが、ほんの少しずれただけでもイライラしたものだ。
天体望遠鏡を少し齧っていればわかると思うが、15センチもの巨大な屈折望遠鏡というのは、まずお目にかかれない。10センチ以上のサイズになると指数関数的にコストが嵩むからだ。普通は反射式望遠鏡を使う。
しかし屈折式望遠鏡はメンテナンスの手間がほとんどかからないというメリットがある。
この時の経験をずいぶん長い間「役に立たない、意味のない経験」だと考えていた。しかし今はこの時の地道な作業を継続した経験が、AIのためのデータ収集やデータの整理といった一見すると地道で退屈な作業をすすんで行う習慣につながっている。
僕が他人よりもAIに少し明るいのは、この性質による。
ピカピカエリートの研究者たちは、データを作る作業を敬遠する。お利口さんだからだ。そういうのは、奴隷めいた階級の「誰か」がやるとタカを括っているのである。
しかしファーブルの例を見るまでもなく、こんなものは、専門家が自ら手がけるのが最も効率的かつ効果的である。少し考えればわかるのだが、ほとんどの「えーあい研究者」は自らデータセットを作ることをしない。僕に言わせれば、そんな人間は二流なのである。昨日のブログのたとえで言えば、データセットを作ることはシステム1を磨き上げることであり、システム1を疎かにして、アルゴリズムだアーキテクチュアだと嘯いても、間抜けなシステム2が出来上がるだけだからだ。
ルカンだってMNISTを作った。
https://www.lri.fr/~marc/Master2/MNIST_doc.pdf
フェイフェイ・リーはImageNetを作った。
故に、彼らは超一流研究者なのである。AIを作るために実際には何が必要なのかよく知っているからだ。
コンピュータ教室の隣はコンピュータ準備室であるべきだが、なぜか看板はLL準備室のままだった。

LL教室がコンピュータ教室に変わったときに、コンピュータ準備室は座りが悪いと考えたのか、うっかり忘れていたのか、その真相はわからない。
ComfyUIとLM Studioを全部のマシンにインストールした。
もはやこの二つのソフトさえあればAIについてやりたいこと、できることは大体できる。
寄付した当初は何十人という生徒がコンピュータ教室を訪れていたそうだが、最近は数人程度だという。それは僕の目論見通りだ。
どんな学校でも、最先端の技術について来れる人間は、全体の5%もいやしない。
AIが最先端のそのまた先であるからこそ、何十人も押し寄せているうちは、何かの流行病のままである。真に活用を模索できる人間は、常に5%以下。いや、もっと言えば、たった一人か、よくて二人。入試でふるいにかけられて入学してくる附属の生徒はそもそも人数が少ない。したがって、5人もいれば満員である。そのうち一人か二人が活用できれば御の字だ。今の世代だけでなくその次の世代、またはさらに次の世代、願わくば今後10世代以内の中で、たった一人でいい、天才を発掘できればいい。その天才は、一切の見返りを返すことはもちろん無用。ただ人類を今より良くしてくれればそれで良い。何を持って「良し」とするかは、その天才が考えれば良い。
その人物、それが彼女か彼かはまだ誰にもわからないが、その人物は間違いなく僕よりも優れた頭脳の持ち主になる。僕よりもずっと若い時代からシステム1をブーストされるからだ。したがって、その人物が考える「好ましい人類の有り様」は僕の想像を超えるはずだ。僕にとって好ましくない未来の可能性もある。しかし確実なのは、その人物が僕より遥かに賢いということだ。自信を持っていい。中学生の時点で僕より賢くなることは(経験不足という側面があるため)難しいが、僕と同世代まで生き延びれば、確実に最低でも僕の二倍は賢い人間になることができる。
AIという存在が身近になると、「自分よりも賢い存在とうまく付き合う」という能力がどうしても必要になる。
その時に一番重要なのがシステム1だ。システム1だけはAIにはどうにもならないからだ。
僕にはまた別の新しい夢がある。
いつか長岡の若者を連れて、シリコンバレーを案内したい。世界の頂点を見せてやりたい。Googleの本社やAppleの本社、コンピュータ歴史博物館や機械娯楽博物館。そういう場所だ。東京の子供よりも、よほど恵まれた環境にしてやることだ。長岡は田舎だから誘惑が少ない。冬は雪があるから尚更家の中に籠る。だからこそ、広く海外に雄飛させ、高い視座を持つことで己の自己との対話の質を深めていくことができる。
そうすればもっと賢い子供が育つだろう。そういう経験を若いうちに積めば、もっと広い視座が持てる。視野を広くすることはシステム1にとって何よりも重要なことだ。広い視野を持って育てば、自然と大局観をもった人間になることができる。
栃尾の小僧だった安井虎太(のちの外山脩造)は、長岡藩家老の河井継之助の死に際に「東京で福沢諭吉に学び、関西で商人となれ」と言われ慶應義塾へ進み、その後、阪神電鉄の初代社長になり、アサヒビールを創業した。阪神タイガースの名前の由来とも言われている。
これは、虎太が幼い頃から河井の知見に触れていたことと無関係ではない。河井は若くして江戸に遊学し、いち早く日本に永世中立国の樹立を夢見た男だ。その視座は他の田舎侍に比べて遥かに高みを見ていたと考えられる。そもそも福沢諭吉にしても、24歳頃に外遊して当時の日本人としては決して知り得ない西洋の事情に通じたことが、彼の大人物を作っていることは疑いようもない。
長岡には銀の匙をくわえて生まれてくる子供は一人もいない。
財閥の御曹司も、大臣の子供も、世界をまたにかけた大企業の重役の子供もいない。細かな貧富の差はあるかもしれないが、東京やシリコンバレーから見たら、全て誤差に等しい差に過ぎない。
それでも長岡からは人物が出る。たった人口20万人の片田舎から。長岡に住むひとはこのことをもっと真剣に考えた方がいい。長岡の最大の生産物は、人なのだ。
ならば、もっと、優れた人を育てようではないか。長岡から世界を変えていこうではないか。長岡は、夢物語ではなくそれができる土地なのだ。
