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斎藤知事・折田氏と公職選挙法―いつまでも「疑惑」を煽るな


はじめに

斎藤知事及び折田氏に対しての刑事告発に関して、神戸地検は不起訴を決定いたしました。

今回の不起訴は、専門の捜査機関が約1年にわたり徹底的に調査した結果、支払と選挙運動の対価との結びつきを立証する十分な証拠が見つからなかったことを示しています。つまり、法的には公職選挙法違反の疑いは否定された状態です。

しかし、この決定にも関わらず、SNSや一部報道ではいまだに

「疑惑が残る」
「「嫌疑なし」ではない」
「疑惑はさらに深まった」

といった表現が繰り返されています。こうした表現は論理的に破綻しており、当事者の名誉を不当に傷つけかねません。本記事では、法的な事実と論理を整理し、なぜ「疑惑が残る」という表現が不適切であるのかを明らかにします。


公職選挙法の争点

斎藤知事は選挙関連で 71.5万円(税込)をメルチュ社に支払い、折田氏は個人として ボランティアで選挙を手伝った ことが確認されています。

公職選挙法上の違法性は、この71.5万円が選挙運動の対価と見なされるかどうかで判断されます。

もし選挙運動の対価と見なされれば違法ですが、今回の捜査ではその結びつきを立証する十分な証拠は見つかりませんでした。


「嫌疑なし」にならないのは当然

「嫌疑なし」とは、犯罪の嫌疑自体が認められない状態を指します。しかし、今回のケースでは、71.5万円(税込)の支払いが選挙運動に関係する可能性を含めての捜査のため、嫌疑が存在するのは当然のことです。したがって、「嫌疑なしではない」と指摘すること自体が、法律の基本を理解していない誤解です。

専門の捜査機関は 約1年近くにわたる捜査 を行いました。その結果、支払と選挙運動の対価との結びつきを立証する十分な証拠は見つからず、検察は「嫌疑不十分」と判断しました。

重要なのはここです。

嫌疑不十分。これが無罪の証明です。

証拠がなければ有罪にはならないため、嫌疑不十分であること自体が、違法性がないことの裏付け になります。

つまり、この71.5万円は単なるデザイン制作費用であり、選挙運動の対価ではなかったのです。


嫌疑不十分とは

「嫌疑不十分」とは、警察や検察の捜査で犯罪の疑いはあるものの、裁判で有罪とするだけの十分な証拠がないと判断された場合に用いられる概念です。

検察が不起訴処分を決定する理由のひとつであり、これが下されることで、法的には違法性が認められないことになります。

なお、不起訴にはほかにも次のような種類があります。

主な不起訴の種類 アトム法律事務所より

無罪推定の原則

「無罪推定の原則」とは、犯罪を行ったと疑われた人や、刑事裁判を受ける人について、刑事裁判で有罪が確定するまでは罪を犯していない人として扱わなければならないという原則です。
これは日本だけでなく、世界人権宣言(11条1項)や市民的及び政治的権利に関する国際規約(14条2項)にも明記されています。

「無罪推定の原則」ってなに?

今回の場合も、この原則に従えば 斎藤知事も折田氏も、公職選挙法違反については無罪として扱わなければなりません


「疑わしきは被告人の利益に」とは

「無罪推定の原則」を受けて、刑事裁判においては、検察官が被告人の犯罪を証明できなければ、有罪とすることができません

「疑わしきは被告人の利益に」ってどういう意味?

これは、被告人が犯罪を犯していないことを証明する、いわゆる悪魔の証明を要求されないという意味でもあります。

犯罪を犯していないことを立証するのは事実上不可能であり、被告人にその責任はありません。有罪とするための証明責任は、あくまで犯罪を主張する側(検察)にあります。

被告人の側から見れば、無実を証明する必要はなく、裁判で自ら無罪であることを説明する義務もありません。

犯罪事実が、法廷に提出された証拠だけでは「あったともなかったとも確信できない」場合、被告人に有利な方向で判断しなければなりません。
これを「疑わしきは被告人の利益に」の原則といいます。

今回の斎藤知事・折田氏のケースでも、検察が証拠を十分に立証できなかったこと自体が、現時点での無罪扱いの根拠となります。


一般人も無罪推定を意識すべき

一部では次のような意見も見られます。

「無罪推定の原則は刑事司法の話で、一般人には関係ない」
「検察が嫌疑不十分でも、一般人は『違法だ』と言っても問題ない」

しかし、これは正確ではありません。

違法性の最終判断は 司法しかできません。証拠のない段階で「違法だ」「疑惑が残る」と一般人が断定して拡散することは、名誉毀損のリスクを伴います。

刑法230条は、公然と事実を摘示して人の名誉を毀損した場合に処罰されると定めています。

司法が違法性を認めていないにも関わらず、一般人が「犯罪者の可能性がある」と明言することは、まさにこれに該当する可能性があります。


検察審査会制度と現状の無罪扱い

神戸地検の不起訴決定(嫌疑不十分)に対して、告発人の郷原信郎弁護士や上脇博之・神戸学院大学教授が、近く検察審査会に申し立てる方針を示したことが報じられています。

この報道を受け、「だからまだ分からない!疑いは残る!」と主張する人もいます。

しかし、検察審査会制度はあくまで 検察の不起訴決定に不服がある場合に申し立てが可能な手続き であり、現時点で神戸地検が斎藤知事および折田氏について 不起訴(嫌疑不十分) と決定した事実は変わりません。

つまり、検察審査会制度の存在は、現時点の法的評価や無罪扱いに影響を与えるものではなく、「疑惑が残る」といった表現を正当化するものではありません。


「疑惑が残る」の論理破綻

証拠がなければ有罪にならないから嫌疑不十分であり、それ自体が無罪の証明です。

証拠がないのに「疑惑が残る」と主張するのは、根拠のない印象操作です。違法性の判断は司法が行うため、一般人が証拠なしに「違法だ」と騒ぐことは社会的にも法的にも問題があります。


結論

今回のケースから明らかなのは、71.5万円は選挙運動の対価ではなかったということです。斎藤知事も折田氏も、公職選挙法違反については 嫌疑不十分=無罪の証明 です。

一般人やメディアが「疑惑が残る」と主張するのは根拠のない印象操作であり、無罪推定の原則に従い、司法判断が確定するまでは無罪として扱うことが社会的義務です。

証拠がない段階で「違法だ」と断定する行為は、名誉毀損のリスクも伴います。


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