スタジオジブリが忘れられていく──日本テレビが守る広告収入、失われる視聴機会

ジブリ作品が配信されない
5月1日、日本テレビの「金曜ロードショー」で『耳をすませば』が放送される。翌週の8日にも、『魔女の宅急便』が放送予定だ。前者は前回放送から約3年8か月ぶり、後者は約2年ぶりだ(誤りがあったので、一部記事を修正しました)。
が、その裏には、別の問題が潜んでいる。長い間テレビでほとんど放送されなかったジブリ作品は、若年層にどれほど届いているのか。
そう考えてしまうのは、スタジオジブリ作品が日本国内のいかなる動画配信サービスでも視聴できないからだ。NetflixでもAmazonプライム・ビデオでも、U-NEXTでも配信されていない。海外のNetflixでは配信されているが、日本国内だけは例外だ。
よって、ジブリ作品を観るためには、テレビ放送を待つか、DVDやブルーレイを購入またはレンタルするしかない。つまり、動画配信サービスが登場する前とまったく同じ状況だ。ジブリ作品だけが、時代の外側に取り残されている。
レンタルから配信へ、完全な逆転
周知の通り、この15年ほどで映像コンテンツの視聴環境は大きく変わった。
日本映像ソフト協会の調査では、2013年に34.6%あったレンタル利用率は、2024年には6.0%にまで激減した。逆に有料動画配信の利用率は6.3%から33.6%と上昇し、完全に逆転している。転換点はコロナ禍に突入した2020年だ。この年、有料動画配信の利用率がレンタルをはじめて上回った。

現在もレンタルビデオ店は減り続けており、NetflixやAmazonプライム・ビデオなどがその機能を代替している。テレビ録画機の需要も減り、最近ではソニーがブルーレイレコーダーを販売終了することが話題になった。スマートフォンでTVerを観ることが当然になった時代に、テレビ録画の文化も終わりに向かっている。アーカイブコンテンツを視聴する主役メディアは、この15年で完全に入れ替わった。
こうしたメディア状況の変化は、ジブリ作品の視聴環境がかなり失われていることを意味する。動画配信では『鬼滅の刃』を繰り返し観たり、新海誠の全作品に触れたりすることが、簡単にできる。しかし、ジブリに限ってはそれができない。
宮崎駿に偏るジブリ映画放送
日テレの放送も、ジブリ作品への接触に大きな偏りを生じさせている。
1985年から2026年までのジブリ作品のテレビ放送のデータを集計すると、そこには作品によって明確な差異が確認できる。

放送回数が多いのは、やはり宮崎駿監督の作品だ。最多は『風の谷のナウシカ』の20回、続いて『天空の城ラピュタ』と『となりのトトロ』が19回、そして今回放送分を含めて『魔女の宅急便』が18回と続く。
一方で高畑勲監督の作品は、『火垂るの墓』と『平成狸合戦ぽんぽこ』はよく放送されているが、2013年公開の『かぐや姫の物語』は3回、1999年の『ホーホケキョ となりの山田くん』は2回にとどまる。『おもひでぽろぽろ』は8回放送されてきたが、直近の放送は11年前の2015年だ。
このようにジブリ作品でも差異が生じている。放送時期は、ゴールデンウィーク・お盆・年末年始の3つに集中する。視聴率と広告収入が確実に見込めるタイミングに人気作を放送しているのである。編成論理としては合理的だが、結果として高畑勲監督や米林宏昌監督など、宮崎駿以外の作品は、テレビからこぼれ落ちていく。とりわけ若い視聴者にとっては、ジブリとは事実上「宮崎駿」を意味するものになりつつある。
人気作ばかりが放送されるその状況は、裏を返せばそうでない作品が忘れられていくことにつながる。
希少価値を守りたい日テレ
ここで重要なのは、2023年にスタジオジブリを子会社化した日本テレビが、配信プラットフォームのHuluも傘下に持つ事実だ。自社グループ内に受け皿がありながら、そこですらやっていない。つまり、国内で配信をしていないのは意図的だ。
理由はシンプルだ。簡単に観られないことで希少価値を保ち、年に4〜8回の放送で確実に広告収入を得るためだ。もちろん配信でも売上は見込めるが、それによってプレミア性が失われ、放送における広告料も損なわれる──おそらくそう考えているのだろう。

それは、テレビの広告収入が縮小し続けるなか、数少ない「確実に広告が取れるコンテンツ」を手放したくない姿勢として捉えられる。つまり、極めて守りの論理が配信を阻んでいる。これは「戦略」というよりも、旧いビジネスモデルへの「執着」に近い(なお2025年に『火垂るの墓』がNetflixで国内配信されたが、これは映画の著作権を新潮社が保有する例外的なケースであり、日本テレビによる戦略の転換ではない)。
生まれつつある「ジブリ空白世代」
懸念されるのは、特定の世代がジブリ作品にリーチしにくい状況で育ってしまうことだ。動画配信がレンタルビデオの利用率を逆転した2020年から6年、3歳の子どもは9歳に、小学1年生は中学1年生になっている。
自宅にテレビがない、録画機器もない、レンタル店も近所にない──そうした環境で育つ若者からジブリ作品と接触する機会が失われていく。動画配信に慣れ親しんで成長してきたいまの10~20代にとって、観たいときに観られないコンテンツは「存在しないコンテンツ」として見なされかねない。
象徴的なのは、望月智充監督の『海がきこえる』だ。もともとテレビ用アニメとして制作された作品だが、高校生の飲酒シーンがあるためか、2011年を最後にテレビでは放送されていない。国内配信もない以上、若い世代がこの作品に出会う回路はかなり閉ざされている。
どこかの世代から、ジブリ作品は「なんとなく知っているが観たことがないアニメ」になるかもしれない。その空白世代は、すでに生まれ始めている。
「いつかやる」ではなく「いつやるか」
もちろん、いつかは日本テレビも間違いなくジブリ作品の配信に踏み切るはずだ。宮崎駿監督の新作がほぼ望めないいま、日本テレビにとってのジブリコンテンツは(将来のリメイクや実写化も含め)アーカイブの運用問題に帰着する。動画配信は、「いつかやる」ではなく「いつやるか」の段階に来ている。
これはジブリ作品に限った問題ではない。放送のビジネスモデルを護持しようとする日本テレビの後ろ向きな姿勢が、わかりやすいかたちで表れているのがジブリなだけだ。配信を遅らせることで短期的に日テレの収益は守られても、その代償は中長期的にジブリ作品に触れる機会を静かに奪われて続ける子どもたちの側に積み上がっていく。
語弊はあるが、状況的にスタジオジブリを子会社化した日本テレビは、テレビを守るためにジブリ作品を人質にしたようにすら見える。しかし、ひとびとはジブリ作品を好きなのであって、放送電波を好きなわけではない。
大切なのは、メディアではなく作品だ。
初出のデータ・グラフに一部誤りがあったので、2026年4月30日に一部を修正しています。





