母は83歳になった。さいわい持病はない。そういえば僕が子供の頃から「体が弱い」と言いながら寝込んでいる姿を見たことはない。怪我をしたこともない。もともと元気で健康は人なのだ。母方の祖父は100歳で亡くなるまで杖もつかず、背筋もまっすぐ、歩き回っていた。その遺伝子を引き継いでいるのだろう…と思っていたのだけど、父から子へ伝える際に遺伝子のパワーは薄くなっていたようで、ここのところ母は老いを感じさせるようになった。記憶が曖昧になっているし、話が通じないことも増えてきたのだ。ときどき感情的になって…もともとの意固地と気の強さが意味不明なタイミングで表にどんと出てきて、強い言葉で僕をぶつけてくるようになった。それが不意打ちで、思い当たることがないから、受ける側からするとなかなかしんどいものがある。ムカつく。体感七割くらいの時間は落ち着いているので、暴れまくってる肉親と付き合っている人に比べればまだマシなのかもしれない。おっさんらしく野球にたとえると3割打者はやたら打つように見えるように3割暴言老人はやたら荒ぶっているように見える。
そんな母との付き合いは50年以上になる。亡くなった父よりずっと長い関係だ。思い出はたくさんある。印象に残っていて鮮やかに思い出せるのは、旅行や入学式卒業式結婚式葬式といったイベントではなく、ごくありふれた日常だ。初めて小学校へ登校するとき登校班の集合場所に遅刻して「ごめんごめん次からうまくやるから」と母が言ったときのこと。幼稚園の遠足で行った今は亡き相模湖ピクニックランドの遊具から僕が落ちたときにダッシュで駆け付けて地面に落ちる寸前でキャッチしてくれて「セーフ!」と謎の自己判定を決めたときのこと。父が死んだとき「いざとなったら家をラブホテルにして稼げばいい」と笑ったときのこと。小学生の頃、台風が直撃して風でガタガタ揺れる寝室で夜遅くまで一緒にラジオを聞いたこと。そんなありふれた、どこの家庭にもある記憶の中で、もっとも強く残っているのは、自宅をリフォームしたときのことだ。僕が小学5年生(1984年)の10月。大がかりな改築で、どういう工程でその状態になるのかわからないけれども、寝室を覆う屋根が半分くらい開いている状態になった。たった一夜だけど。その夜はたまたま天候が良く秋晴れの日だったので、屋根のない部屋で母と僕と弟で川の字になって一晩過ごした。その日の記憶に父の姿はない。夜遅くまで働いていたのだろう。父はいつも僕が寝てから帰宅していた。川の字の、上から見て左側の少し曲がった棒になった僕が屋根のない天井を見上げると、嘘のような満天の星が見えた。少し肌寒かったけれども、目の前に広がる星空の美しさに、すぐに寒さなんかどうでも良くなった。母は「プラネタリウムの特等席だね」と笑った。僕と、普段は星空になんか興味のないサッカー少年だった弟も、プラネタリウム!と興奮した。なんだか、理屈はわからないけれども、そのときは生きているだけで素晴らしいことが降りてくるような気がして胸がいっぱいになった。弟が「今日のことは死ぬまでは忘れないよ」なんて少し不吉なことを言って、母が変なことを言うんじゃないと起こり出すのではないかとハラハラしたけど、母は「そうだね」と言っただけだった。静かな夜で、ときどき遠くで鳴る車のクラクションや、貨物電車が街を走り抜ける音が優しく聞こえた。どこにでもある普通の夜だけども、僕たちにとっては、死ぬまで忘れないプラネタリウムの夜だ。
先日、母にその夜のことを訊ねた。「あぁ覚えてる覚えてる」と言ったけれども、投げやりに言葉を繰り返すときは母が嘘をついている証拠だ。母の記憶は曖昧だ。母の中で浮かび上がったり沈んだりしている。きっとプラネタリウムの夜も母の記憶の中でバラバラに解体されて行方不明だ。少し寂しいけど仕方がない。母は断片的に昔のことを思い出す。前後の文脈に関係なく、突然、不意打ちに、いろんな思い出を話しかけてくる。僕ははいはいと話を合わせながら気づいた。母の記憶の断片は原型を留めているものもあれば、粉々にくだけて判別の難しいものもあったけれど、嘘はなかった。思い出のかけらだった。母の中で、バラバラになった状態で、思い出が記録されている。あの夜もきっと原型は留めていないけれど、生きているのだ。バラバラに砕けた思い出の欠片は、形を変えながら、結合したり、さらに細かい欠片に砕け散ったりしながら、万華鏡みたいにさまざまな絵を描いて生きている。母のなかにある記憶の万華鏡は、その時々で違う模様を描き、同じ模様は出ない。断片は細かくなっている。同じ絵柄が現れる可能性ゼロの巨大な万華鏡だ。同じ思い出の絵が二度と現れない残酷な万華鏡。
あのプラネタリウムの夜をはじめ、思い出たちは母の中でバラバラになってしまった。でも小さな欠片となり同じ形に再生されることがなくなっても、生きてきたことや、思い出自体が損なわれることはないのだ。形は変わってもそこにあるのだから。そして、僕は祈るのだ。母の中にある思い出の万華鏡が美しく綺麗な絵柄を映し出し続けることを。悲しい出来事が違う絵柄を絵柄を描くことを。それから奇跡的な確率になるけど、いくつかの素晴らしい思い出がありのままの姿で再生されることも。父が生きていたときの思い出がそのまま蘇ってくれたら最高だ。もちろん、死ぬまで忘れないと約束したプラネタリウムの夜も。僕に出来ることは、最後まで母に付き合うことだ。そう遠くない将来、僕という存在自体、母の中でバラバラの欠片にされてしまうかもしれない。それでもいい。母がときどき口にする思い出の欠片を導いて、美しい絵柄を映し出せる手伝いをしよう。今はそう思うのだ(所要時間29分)
