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デヴィッド・ボウイ晩年のジャケットカヴァーを手がけたデザイナーがその仕事を回想 『The Next Day』の賛否についてボウイは…

2026/05/14 18:21掲載
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David Bowie / The Next Day
David Bowie / The Next Day
デヴィッド・ボウイ(David Bowie)が2002年以降に発表したオリジナル・アルバムのジャケット・カヴァーを手がけたデザイナーのジョナサン・バーンブルック。英ロンドンで開催されている没入型展示『David Bowie: You’re Not Alone』にあわせ、英Clashの取材に応じ、ボウイとの仕事について振り返っています。

「彼と彼のレコード会社が交わした契約は、完成品を渡すだけというものでした。90年代に散々振り回された経験があったことを思えば、それも理解できます。ですから、誰にデザインを任せるかは彼自身が決めていて、レコード会社から圧力を受けることもありませんでした。私たちは常に完全に隔離された環境で、誰の干渉も受けずに仕事をしていました。本当に自由でした。とはいえ、彼は決して無邪気だったわけではありません。何が良いジャケット・カヴァーになるか、そしてファンが何を期待しているかを、彼は非常によく理解していました。もちろん、私たちは期待通りではないものを提示しようと努めました。特に『The Next Day』のジャケットではそうでしたね。

彼と最初に取り組んだプロジェクトは、彼の妻イマンに関する本でした。本当に突然のことで、ある日、いきなり電話がかかってきたのです。スタジオのスタッフが、半信半疑みたいな笑顔で“デヴィッド・ボウイから電話です”と言ったのを覚えています。私は誰かのいたずらじゃないかと思いながら受話器を取ったんですが、本当に彼本人だと気づきました。彼は、人をリラックスさせるのがとても上手で、それは長い付き合いの中で本当に助けになったと思います。私は決してイエスマンではありませんでした。何かを良くないと思った時には、ちゃんとそう言いましたし、複数の案がある中で特定の方向性を強く支持する時も、はっきり、そう伝えました。

彼には何度か会いましたが、主なやり取りはメールでした。彼はニューヨーク、私はロンドンに住んでいましたから。でも、最後のアルバムの時には、デザインについて直接話し合うために、ニューヨークへ行きました。

彼には、本当に稀有な才能がありました。相手の力を最大限に引き出しながら、その過程そのものをとてつもなく楽しいものにしてしまうんです。それは、私自身が他の人と仕事をするときにも、ぜひ実践しようと思ったことのひとつでした。もちろん彼は最高のものを求めていました。でも同時に、“素晴らしい作品を作るのに、制作過程が苦痛である必要はない”という考え方を持っていたんです。たぶん、それは一緒に仕事をしたミュージシャンたちに対しても同じだったと思います。

ご存じのとおり、一般的にはミュージシャンというのは、すべてを自分でコントロールしたいと思うものですし、自分の音楽なのだからジャケットに何を載せるべきかも自分が一番わかっている、と考えるものです。でも、ボウイは決してそうではありませんでした。彼は良いものでさえあれば、どんなアイデアにも前向きだったんです。実際、彼は曲の具体的な意味について語るのを嫌っていました。一度、私がその意味を尋ねたことがあったんですが、彼は教えてくれると言いつつも、二度と尋ねないでほしいと言いました。私がそれに対してどう反応し、何を生み出すかを見たいからだと。あれは、本当に健全なクリエイティブの在り方だったと思います。

(インタビュアー:ボウイのために手がけた作品の中で、一番のお気に入りのデザインは?)

『The Next Day』ですね。創作人生の中で、人々に挑戦を突きつけるような新しいアイデアに辿り着ける瞬間はそう何度もあるものではありませんが、私にとっては、まさにあの作品がそうでした。発表からもう10年以上経っていますが、いまでもデザインの意図について尋ねられることがあります。正直に言うと、それは作品を気に入ってくれる人もいれば、絶対に大嫌いだという人も含まれますよ!

当時、この件についてはボウイとも話しました。音楽だけでなく、ジャケットについても大きな話題になっていましたから。彼は“今の時代に、ジャケット・カヴァーについて人々が議論しているということ自体が素晴らしいことだ”と言っていました。ですから、彼自身、とても喜んでいましたよ。

『★ (Blackstar)』を聴くのは、私にとって本当に辛いです。とても個人的な意味を持つ作品ですし、リリース直後に彼が亡くなったことで、あのアルバムで彼の声を聴くのが苦しくなってしまいました。むしろ私は、彼と仕事をする前の作品を聴くことが多いです。そちらの方が、自分の中では別の存在として感じられるので。

彼は、自分が病気だということを私には話しませんでした。アルバム発売の6か月前に会った時も、まったく気づきませんでした。彼はユーモアがあって、未来に目を向けていました。自分の死という極めて個人的なことを、誰に打ち明けるかは本人が決めることだと思いますし、結果的には、そのおかげでデザイン制作にも向き合いやすかったです。もちろん、アルバムや歌詞が持つ感情には応えなければなりませんでしたが、私たちはそれを“彼くらいの年齢なら誰もが抱くであろう死という普遍的なテーマ”として語り合いました。もしあの時、彼の病気のことを知っていたら、どれほど重い作業になっていたか想像もできません。ただ、彼が亡くなったあとに改めて歌詞を読み返すと、その意味合いは完全に変わってしまいました」