
■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業体験記 11 道理を通す 2 竹之下経営退社で動き始める
■【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業体験記 11 道理を通す 2 竹之下経営退社で動き始める
「経営士ブログ」では、コンサルタント・士業として新たに独立起業しようとしている方々の応援もしています。
新たに開設されたブログもあり、また、読者からの要望もあり、再編集して、はじめからお届けすることになりました。
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業体験記
私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
*
◆
いまや、経営コンサルタントとして、押しも押されぬ大ベテランの竹根好助でる。その竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めた。思わず乗り出してしまうほどで、それを小説風に、自分を第三者の立場に置いた彼の話としてご紹介しよう。
◆
いまや、経営コンサルタントとして、押しも押されぬ大ベテランの竹根好助でる。その竹根が、経営コンサルタントになる前の話をし始めた。思わず乗り出してしまうほどで、それを小説風に、自分を第三者の立場に置いた彼の話としてご紹介しよう。
バックナンバー 【連載小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業体験記
http://keieishi.blog.fc2.com/blog-category-79.html
*
◆11 道理を通す これまでのあらすじ
5年のアメリカ駐在所生活から戻った商社マン・竹根好助は、東京本社での業務に、早朝出勤などをしながら鋭意取り組んでいた。取引先の支援の一環として、コンサルタントとしての能力も必要であると痛感し、能力アップのために資格試験に挑戦したりもした。
会社からは、竹根の存在にある程度の価値を認めてか、青年重役会にも選ばれ、ますますの頑張りを発揮していた。そのような中で、福田商事の子会社である光学機器メーカーの社長・北野原が竹根の引き抜き話をはじめた。それに加えて、コンサルティング・ファームからのヘッドハンティングの話が再燃してきた。
それまでは、転職に対して、否定的であった竹根であるが、中小企業の経営者の悩みの大きさ、それを解決できない商社の限界に悩んだ。悩みに悩んだ末、経営コンサルタントとして、再出発をすることにした。
ヘッドハンティングされた会社に心を弾ませて出社した竹根、まずは、温和しく状況把握をしようと思っていた。ところが、すぐに歯車の中に取り込まれ、要領が解らないまま、いろいろな仕事を命じられるのである。
クライアント側を見ても、コンサルティングに対する考え方が本来のこととことなり、コンサルタントが何かをやってくれるものと思い込んでいる。一方、あたり前のことがあたり前にできていない現実にも直面し、その辺り方クライアント自身のあり方を感じ取らせようと決意した。
◆11-2 竹之下経営退社で動き始める
3か月前に入社したばかりの竹根が、コンサルティング・ファームの現実の直面し、自分の生きる場所ではないことを悟ったのである。すぐに妻のかほりに経営コンサルタントとして、独立起業したい旨を話した。物わかりの良い、かほりの対応に心から感謝をした。
かほりに話した翌日、竹之下経営の小田川副社長にケント光学の事情を話すと、すでに事情がわかっていることもあり、快く竹根の退社を認めてくれた。
一か月の間、竹之下経営での引き継ぎを済ませ、自由な時間が取れるようになると、まずケント光学の田近常務を訪れた。竹根といくつも歳が違わない三十代半ばの田近であるが、急に老けた感じで、元気がない。それでも竹根の顔を見るとにこやかさを浮かべられるようになってきた。
「竹根先生、も一度お考え直していただけたようですね。小田川先生から竹根先生が坂之下経営を退社されると聞きましたので・・・」
「常務、ちょっと待ってください。私は、ケント光学の社長になるために竹之下経営をやめたのではありません。ご恩ある北野原社長の亡き後を放置しては、せっかくの社長のご苦労が水泡に帰すようになってはいけないし、竹之下経営に籍を置いていると時間的なゆとりもないので、まずは退社して、それから私なりにできることをしたいと考えたからです」
「そんな冷たいことをいわずに、何とかケント光学をお願いします」
「北野原社長の財産を奥様がどのようにするのか、正式にはまだお聞きしていませんが、葬儀の席で奥様に、『ケント光学をよろしくお願いします。』と言われました。できる限り、北野原社長の意向に沿うようにしたいと考えています」
北野原の妻には、竹根は二度ほど会っていることもあり、北野原が竹根を高く買っていることは重々承知なようである。
「田近常務、北野原社長が私財を投じてくれたので、ケント光学は今や福田商事の子会社ではないのです。関連会社ではありますが、経営判断にも自由度が高まってきました。しかし、まだ三十%は、福田商事が株式会社を持っています。それを無視することはできません」
「でも、残りの大半が北野原社長のものですから、奥様の了解さえ取れればどうにでもなるのではないですか。奥様は、『竹根先生のお力におすがりしたい』と繰り返し、おっしゃっていました」
「法律的には問題なくても、道義的に、私がケント光学と関係を持つことはできないと考えています」
「関係を持てないということは、顧問もだめということですか?」
「今言いましたように、法律的には何ら問題はありません。しかし、福田商事を退社してまだ四ヶ月そこそこです。そのような時に、顧問を引き受けるということは、福田商事にいる時から、ケント光学と密約ができていたといわれても仕方がありません。それでは、ケント光学が痛くない腹を探られることになります」
「でも、事情が事情です。その辺は、福田商事でも解ってくれるのではないでしょうか。今のままでは、私はどうしてよいのか解りません」
「北野原社長の奥さんの意向を確認した上でのことになりますが、私からの提案があります」
田近の悲痛な顔が緩んだ。
竹根が田近に自分の提案を説明すると、田近もそれに同意をした。そこで、竹根は、北野原未亡人を訪問することになった。未亡人にすれば少なくても四十九日があけてからという気持ちが強いであろうが、ケント光学の経営をストップさせたままにするわけにはいかないことは承知である。翌日、未亡人を訪問することになった。
<続く>
■ バックナンバー



























